山形で仕事を見つける気はなかった
移住先も住む家も順調に決まった昼田さん夫妻。ですが、仕事や収入源を山形で確保したわけではありませんでした。
「仕事のことはお互い何も決まっていない状態で行きました。私はすべての仕事が東京にあったので、移住したらどうなるんだろうという不安は多少なりともありましたが、フリーになって8年間、仕事はなくなったら作ればいいやと思ってやってきたんですよね。だから今回もどうにかなると思っていたところはありました。ただ、山形で仕事を見つけようという気はなくて、衣食住の部分だけ恩恵を受けようと。
夫はもともとメーカー勤務という割と硬めの会社員だったので、仕事に対する不安は私よりあったのかもしれません。だけど1年以上経った今も仕事はせず、こっちに来て始めたヨガに没頭していますよ」
ダメだったらいつでも東京に帰ろうと
そんな悠々自適な生活、きっと貯蓄があったからこそできるんだろうと思われるかもしれませんが、昼田さん夫妻は特に十分な蓄えがあったわけではないようです。
「私があまり先のこと考えてないからかもしれないですね(苦笑)。こっちの暮らしは2年って決めているから、お金がなくなったり気持ちが病んでしまったり、何かしらダメだったらいつでも東京に帰ろうと思っていて。でもそれはコロナにならなければ考えもしなかったこと。これほどの自由ってないじゃないですか。
東京の仕事は一度にまとまるようにスケジューリングしているので、より効率的になりました。山形から東京へは2時間50分ほど。その距離を遠いと言う人もいますが、私は新幹線の中で原稿を書くのが大好きで、移動っていいなって(笑)」
結果的に移住によって仕事量が減ったということもなく、昼田さん自身の収入は変わっていません。コロナ禍で打ち合わせもほぼオンラインになったので、東京に行くのは月に2回ほど。4、5日滞在する時もあれば2日ぐらいで帰ってくる時もあり、「移動を苦に感じたことはない」と話します。
では逆に、移住に関して苦労したことは? と尋ねると「引っ越し先も決まっていざ行こう! ってなった時、少しだけ不安になりました。バンジージャンプを飛ぶ直前に、一瞬不安になるようなことってあるじゃないですか。そういう感じで、でもそんなの苦労じゃありませんね」と昼田さん。こうして綿密に練ることなく思いつきで始まった山形生活も1年4カ月が経ちました。次回は実際どのような暮らしをしているのか、山形の住み心地について伺います。
取材・文・構成/井手朋子
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