スラム街で見た衝撃の光景。そこで得た人生のテーマとは?

 

思春期の頃、家庭環境があまり良くなく、とにかく早く自立したいと思っていました。誰かの都合や機嫌に左右されたり、何かの下敷きになったりするのは嫌だと痛感していたのです。

自立するためには、どうしたらいいんだろう。一刻も早くお金を稼いで自活するのが一番に思えました。高校は入学したばかりでしたが、友達との時間よりも、欲しかったのは自由とそのためのお金。アルバイトで自活するほど稼ぐためには高校に通う暇などありません。1年生で退学します。

 

すぐに働けるところを探し、雇ってくれたのはスーパーの鶏肉工場でした。ひたすらラップでお肉をくるむアルバイトです。週に5日、9時から17時まで、マイナス数℃の環境で、真っ白のアームカバーにキャップ。重労働ですし、最初は若くてチャラチャラしていると思われたのか、先輩の目も冷ややかでした。

ここで絶対にやると決めたのは、大きな声で挨拶をすること、呼ばれたら文字通り全力で走ること、教えられたことは1週間で完璧に覚えること。ひたすらそれを徹底するうちに、少しずつ認めてもらえて、やがて可愛がってもらえるようになりました。頑張って16万円くらいのアルバイト代がもらえたとき、心の底から嬉しかった。自由になったと思えました。

このとき得た、「置かれた環境でできることを探し、精一杯頑張る」という信念は今でもおおいに生きています。

働き始めてからは、もっと視野を広げなくてはできることが少なすぎると考え、単位制の高校に再入学もしました。卒業後は携帯ショップの販売員のアルバイトを始めます。しかしここで自分の無力さを痛感することに。

思い知ったのは、経済的に「自活」したからといって、必ずしも「自立した大人」になれるわけではない、ということ。

鶏肉工場でも、その後の会社でも、お給料をやりくりして生活することはできていました。あれほど望んだ経済的自立です。ところが高校卒業後に勤めた携帯ショップでセクハラをされてもクビを恐れてNOと言うのをためらってしまった。私が求めているのは、精神的な自立、イヤなものは嫌と言える魂の自由でした。

この時抱いたテーマこそ、その後の私、そして現在の事業の核を支えています。

まずはその力を手に入れよう。そのためにはもっと勉強して、視野を広げ、自立した人間にならなくては。そう自分に誓い、心機一転、ショップを辞めてゼロから猛勉強、周囲から1年遅れですが大学に入ります。ところが入学してみると、思ったよりも周囲と温度差が。周りはせっかく大学に入ったのだからとキャンパスライフを楽しんでいましたが、危機感を抱いていた私にはちょっと物足りなかった。視野を広げて自立したい一心で、大学の外にその機会を求め、バックパッカーとして世界を巡りはじめました。

そしてインドで、本当の自立とは何か、を考える事件が起こります。

現地ではボランティアに従事していましたが、孤児院などの施設へ向かう通り道に大きなスラム街がありました。通りかかるたびに挨拶をするうちに、少しずつ顔見知りも増えてきたある日、一人の子どもが近づいてきました。私が手にしている、何の変哲もないスーパーの、一応新しいビニール袋を指さし、今思えば「それくれる?」というニュアンスの質問をされました。うん? と訊き返した返事を承諾と取ったのでしょう。

周囲にいた子どもも、その母親も、一瞬でそのビニール袋を奪い合い、まるで暴動のような大騒ぎになりました。袋はボロボロ、目の前では乱闘騒ぎです。私は衝撃のあまり声も出せず、ただ震えることしかできません。

この世には、どんな新しいものも一切手にできない世界に生きている人がいる。

そしてその人を救うためには、ただモノを「与えて」も、解決にはならないのだという事実に直面しました。

立場が弱い人が真に自立し、幸せになるためには、自分で働き、社会に役立つ術を手に入れることが大切なのだ。私はこのことを胸に刻みました。