何回も人生をやっている印象は、どこから来るのか?
芦田愛菜ちゃんはまさしく何回も人生をやっている印象。しかも逆境を乗り越えてきたような、さりげない達観を感じさせずにはおきません。
それも、小学生で年間60冊以上、中学生では年間300冊以上の読書をこなしてきていると言われるせいでしょうか。一体あの仕事量でどのようにその読書量をこなしてきたのか、何かその辺りの理解力にも、“初めての人生”ではないことが存分に伺えます。
だから「孫世代の少女に憧れてもおかしくはないのだ」と自分に言いきかせているわけですが、逆に言えば、大人の人格者には持てないものを、この人たちは厳然と持っています。言うまでもなく、穢れのなさ、純粋さ。だから、憧れることでまるで“自分が浄化される”ような都合の良い手ごたえさえ感じることができるのです。
ただ、愛子さまにしても愛菜ちゃんにしても、その年齢なりの生き方をしてきた人たちではありません。
人生をのんびり生きてきた大人よりも、はるかに多くの経験を積んでいると言っても良いほど。いや、経験の豊富さと言うよりも、子供心には過酷すぎる経験を積んだと言ってもいい人たちなのです。
芦田愛菜ちゃんは3歳でデビュー、天才子役の名を欲しいままにしたのは説明するまでもなく、順風満帆の女優人生を送ってきたと言うふうにも見て取れますが、逆に天才すぎたが故の苦悩もあったはずなのです。
様々な嫉妬があったことは容易に想像できるし、大人びた演技もできる“上手すぎる子役”は必ずその洗礼を受けなければいけない「あざとさ疑惑」のようなものも、おそらくついて回ったはず。
大人社会は全く勝手で、散々ちやほやしておきながら、微妙な年齢に差し掛かるとともに評価を変えていきます。受けなくても良い中傷を受けることもあったかもしれません。
しかし愛菜ちゃんは、大人社会が想像しなかった偉業を成し遂げます。中学受験で難関校に複数合格。結局、活動に理解の深い慶應義塾中学に通うことになるわけで、一体いつ勉強したの? と、大人たちは呆然としたはず。
ちなみに座右の銘は「努力は必ず報われる」だそうです。
恐れ入りました! と言うことなのか、世間は明らかに見直す形で再び、受験後の愛菜ちゃんにスポットを当て、再ブレイクが起きるのです。すっかり大人になって子役のイメージを脱した愛菜ちゃんは、自分を翻弄した大人社会に懐疑的になるでも、もちろん不遜になるでもなく、全く見事な人格者として現れたというわけ。
単に学業が優秀なだけではない、人間として極めて優れた逸材だったことに、私たちはそこで改めて気づかされるのです。こうしたことからも、驚愕の読書量も含め、既に何周分も人生をやってきたような心の成熟があってもおかしくない。まさにそこに、畏敬の念を抱きました。
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