いつも通りの夏の日曜日に、突然の脳卒中で倒れたのは、48歳2児の母でありフリーライターの萩原はるなさん。救急車で急性期病院に運ばれ、予兆も準備もまったくないまま入院生活が始まりました。

 

なぜ自分に、こんなことが起こったの? 後遺症は? 突然の事態に自分なりに向き合いながら、治療やリハビリに励む日々をレポートします。
今回は、お風呂やヘアカットなど、入院中の身のまわりのことに関するお話です。

 

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車イスのひとり歩き(?)が許され、自由が手に入った!


2021年7月25日に倒れ、8月11日に急性期病院からリハビリ病院に転院してきた私。当初は車イス生活で、トイレに行くときはもちろん、病室内の洗面所で歯ブラシをするときも、ベッドから車イスへ移る際にも、必ずナースコールを押して介助をお願いしていました。

病室も、ナースステーションから一番近い場所のドア側。一番お世話が必要な、「新参者専用ベッド」にいたのでした。

「一人にしても大丈夫」と思ってもらえることが、自由への近道。

私はそう自分に言い聞かせ、それはそれは従順に看護師さんや看護助手さん、各種療法士さんのアドバイスに従って手を借りながら、無理をせずに分相応に暮らすことを決意したのでした。

その結果、転院から1カ月が過ぎたころに、「ひとり移乗」が許されることに。お迎えを待たずにリハビリに行ったり病室に帰ったり、トイレにひとりで行ける開放感ときたら!

リハビリの一環で、左手で書き始めた日記。このころ言葉のリハビリは卒業になり、手と腕の作業療法や脚の理学療法のどちらかをプラス1時間受けられるように。

しかも、1階にある売店にまで自由に行けちゃうのです。車イスの操作技術もすっかり向上し、担当療法士さんたちに「はや!」と言われるほどの高速移動を習得。狭い病棟、そんなに急いでどこに行く、私?

病室も段階的にナースステーションから遠い部屋に移り、9月に入ると「目を離しても大丈夫ルーム」に落ち着きました。

というわけで、車イスでの自由を手に入れた私。

コロナ禍で会えなかった子どもたちにも、「売店に買いものに行きます! あれ、偶然荷物を受け渡しに来てくれた家族と会えちゃった!」というていで、1〜2分ほど会えるように(本当はいけないのです。実際、「面会できないことになっているんです」と怒られたこともありました)!

いつの間にか私の背を抜かしてしまった娘と、すっかり日焼けしてやたらと歯が白く見える坊主頭の息子。二人とも見るたびに成長しているようで、なんとか会えると、お母さんはいつも胸が熱くなるのでした……!

徐々に膝を立ててキープできるようになってきた右脚。左脚はどんどんムキムキに、いっぽう右脚はすっかり筋肉がおちて細〜くなってしまいました(悲)。