しかしながら、こうしたアルゴリズムというのは、全ての中身を公開すればいいというものでもありません。中身をすべて公開してしまうと、今度はそれを逆手に取り、点数が良くなるところだけを強化して、見かけ上の評価を上げることに血道を上げる飲食店も出てくることになります。こうした措置を実施できるのは資金力のある大手だけですから、今度は弱小店舗が著しく不利になってしまいます。
不透明なことは良いことではありませんが、すべてを明らかにしてしまうと、それを悪用されることも十分にありえるのです。こうした状況を総合的に鑑み、裁判所はアルゴリズム変更の差し止めまでは求めず、一方的な変更が優越的地位の濫用にあたると判断したものと思われます。
今回の裁判は、アルゴリズムという新しい手法が争点になったということよりも、むしろ評価する側とされる側の力関係がどうあるべきなのかという点で争われた裁判と考えた方が良いでしょう。
評価というものが存在しなければ、消費者にとってはどれを選んでいいのか分からないという問題を抱えますし、一方で、評価者の行動を制限してしまうと、今度はお店側が恣意的な運用を行う可能性が出てきます。重要なのは、双方がお互いを尊重できる関係性を保てるかどうか、という点であり、これが実現できて初めて消費者の利益となります。
この問題は、ECサイトにおける一般消費者によるレビューにもあてはまると考えた方が良いでしょう。
日本の場合、諸外国と比較して、レビューの中に占める誹謗中傷の割合が突出して高いとの問題が指摘されています。全世界で販売されているゲーム商品であっても、海外からの評価者は総じて高い評価を行っているにもかかわらず、日本からの評価者だけが口汚く商品を罵っているというケースは珍しくありません。
評価というものは、お互いが責任を持ち、相手を尊重することで初めて成立するものです。責任ある態度がなければネット社会は成り立たないという基本的な価値観について、もっと共有していく必要がありそうです。
前回記事「「20代独身男性の4割はデート未経験」の政府報告書、全部読まなければ見えてこない問題の本質とは」はこちら>>
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