いつも通りの夏の日曜日に、突然の脳卒中で倒れたのは、48歳2児の母でありフリーライターの萩原はるなさん。救急車で急性期病院に運ばれ、予兆も準備もまったくないまま入院生活が始まりました。
なぜ自分に、こんなことが起こったの? 後遺症は? 突然の事態に自分なりに向き合いながら、治療やリハビリに励む日々をレポートします。
今回は、萩原さんのリハビリ入院中、家に残された家族の様子をお届けします。
私不在の毎日。そのとき、わが家は……?
7月25日に倒れて急性期病院に入院、8月11日にリハビリ病院に転院して早くももう10月も末に。長女を産んでから、こんなに長く、子どもたちと離れたことはありませんでした。学校の宿泊行事で、三日間娘の顔を見なかったくらいで、息子にいたっては24時間以上離れたことはありません。
平日はいつも3人で朝食&晩ごはん。休日は子どもたちを連れて、買い物も公園も、テーマパークも旅行も、ほぼ私と子ども二人、ときには私の両親やママ友たちと出かけていました。
夫はというと、ほぼほぼ事務所で仕事。長年、「たまに家にやってくる、お笑い担当」といった立ち位置でした。
子どもたちにとって夫は、生まれてこのかた「いつの間にか夜中に帰ってきてごはんを食べ、朝はベッドで寝ている人。一緒にごはんを食べるのは、夏休みとお正月に一緒に帰省したときくらい」という存在だったはずです。
それが、私の長期入院によって、いきなりワンオペ育児に! 夫は本当に大変だったことでしょう。しかも、仕事量はこれまでと変わりません。むしろ、私という片輪がしばらく働けない以上、気持ちとしては今まで以上に仕事をして稼ぎたかったはず……!
そこに、朝昼晩の子どもたちの食事。学校や塾とのやりとり、習いごとや野球の送迎とお手伝い……。夫が途方に暮れるのも無理はありません。後から聞いたところ、いつもキーキー子どもたちに切れまくっていたそう。わかるわ〜。
そこで週に1回私の母が来て、2〜3日泊まっていってくれることに。これで子どもたちの食事やいろいろなフォローはひと安心。「ばあばがビーフシチュー作ってくれた〜! これから買い物に行くんだ」などと娘からメールがくると、安堵するとともに日常が思い出され、さみしさが込みあげてくるのでした。
ただ、気がかりはもうすぐ80歳を迎える父のことです。母がそんなに家をあけることも、これまでなかったはず……!
転院直後に「ごめんね、不便をかけて」と電話で父に謝ったところ、「そんなの、病気なんだから仕方ない。それより、早くよくなるように頑張れ」と言われ、よけいに申し訳なくなってしまいました。
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