「自分、文系なんで……」をある種の言い訳に使いまくってきた“自称文系”の筆者は、とある本と出合ってこの言葉を封印すると決意しました。それが、前田智大さんの著書『灘→東大→MITに合格した私の「学びが好きになる」勉強法 子どもの可能性を開花させる中学・大学受験』です。

書籍のタイトル通り、前田さんはかの名門、灘中学・灘高校から東大、米マサチューセッツ工科大学(MIT)に合格した明晰な頭脳の持ち主。MIT工学部電子工学科で学んだご経歴からも、筆者にはバリバリの理系に映ります。が、これもいわゆる筆者の偏見……。前田さんは本書の中で「文系・理系」の区分には意味がない、と断言します。

小さな町で喫茶店を営む普通のご両親(ご本人談)の元に育ち、「中学受験ってなに?」という状態からスタートしたという前田さんが、名門校を目指すにあたりどのように学んできたのか。さらに本当に意義のある学びとは何かを伝える本書から、「文系・理系」の考え方について特別にご紹介します。

 


「理Ⅲ戦士」がいる灘高生。それでもギスギス感は皆無


毎年、一定数の灘校生が「東大理Ⅲ」を受験します。ここは、入学者がほぼ自動的に医学部に進むコース。東大の中でもとりわけ優秀な人が集まる場所、とされています。理Ⅲを目指す生徒は、ざっと二つのタイプに分かれます。

 

一つは、中1から理Ⅲを目指しているタイプ。親御さんが教育熱心で、灘に入学するやいなや、また東大を目指して塾へ、というような環境にいる子たちです。もう一つは、なんとなく目指すタイプ。校内で成績上位でありつつも、とくに関心あるジャンルがあるわけでもないので「それなら日本最高の学部を目指そうか」という流れ。「医師になりたい」という純粋な志を持つ子もゼロではないですが、レアです。

本人たちも、その「レールに乗っている感」は自覚していて、自分たちのことをやや自嘲的に「理Ⅲ戦士」と呼んだりもしていました。と言っても別に深刻になるわけでなく、淡々と、すべきことをしていて、難易度の高い入試に挑戦している姿はほかの生徒からも尊敬の目を向けられていました。