ウイルスという存在に生命を脅かされ、あたりまえの毎日が「いのちを守る生活」に変わったこの数年。経済活動が制限され、人との交流が絶たれ、そこからゆるやかに活動を取り戻したり、遠慮や配慮のバランスを取ったりしながら「いのちを守る生活」は今なお続いています。そんな世界を見つめ、あるべき「これから」について考えるのが、稲葉俊郎さんの著書『いのちの居場所』です。東大病院では心臓の専門医を務め、現在は軽井沢病院院長である稲葉さんは、本書冒頭でこう問いかけます。

「いのち」は、人間だけではなくあらゆる存在が等しく持っています。「いのち」の存在を忘れた社会自体が、「いのち」を失ってしまうことを改めて考え直す時期に来ているのではないでしょうか。

生きるとは、いのちとは何かを見失いがちな現代。医療現場で患者と向き合い続ける医師が教えてくれる過去の体験と死生観の中に、そのヒントを探ります。

 

稲葉俊郎(いなば・としろう)さん
1979年熊本生まれ。医師、医学博士。軽井沢病院院長。2014年に東京大学医学系研究科内科学大学院博士課程を卒業(医学博士)。2014~2020年3月、東京大学医学部付属病院循環器内科助教。2020年4月から軽井沢へと拠点を移し、信州大学社会基盤研究所特任准教授、東京大学先端科学技術研究センター客員研究員を兼任。東北芸術工科大学客員教授(山形ビエンナーレ2020 芸術監督就任)を併任。2022年4月から軽井沢病院院長。「全体性」を取り戻す、新しい社会の一環としての医療のあり方を模索している。『いのちはのちの いのちへ―新しい医療のかたち―』(ともにアノニマ・スタジオ)など著書多数。

 

生死をさまよって思った「生きているだけで充分」


わたしは3歳前後に、死に近い体験をしたことを曖昧ながら覚えています。ちょっとしたことで病気になって入院し、普通の暮らしはほとんどできていなかったようです。周りも「この子は長く生きられないんじゃないか」と思うほど生命力が弱かったようなのです。ウイルスや細菌など、いろいろな感染症を併発していて、全身の粘膜という粘膜が全部ただれてしまいました。口からご飯が食べられなくなり、病院では鼻からチューブを入れて栄養をとりながら生きていた風景を克明に覚えています。

病状的には死の間際を行き来していたのかもしれません。ただ、いろいろな偶然や恩恵が重なって病態は上向きに向かい、無事生き返って今に至っています。実際、小学校の低学年のときもずっと体育は休んでいたほど弱弱しかったのです。

しかし、だからこそ「生きているだけで充分なんだ」と思っていたことも強く覚えています。「自分はすでに死んでいた可能性もある。だからこそ、生きているだけで儲けもののような人生だ」と。家族や医療スタッフ、いろいろな人の力で助けられたから、自分もその恩返しをしようと思って医療の世界を職業として選びました。