雑誌・広告・PV・舞台のヘアメイクプランや、蒼井優さん、多部未華子さん、綾瀬はるかさんをはじめとする数多くの女優のヘアメイクなど、ヘア&メイクアップアーティストとして活躍し続けている赤松絵利さん。
2013年には、師匠である故・宮森隆行さんから引き継ぐ形で、「hair and make-up ESPER(エスパー)」の社長に就任。ヘア&メイクアップアーティストと社長業の二足の草鞋で忙しい日々を送りながら、常にワクワクと仕事を楽しんでいます。
まわりの人に笑顔と爆笑を伝染させてしまう赤松さんの「前向き仕事論」を探るため、これまでの経歴を聞きました。
「女優の個性を引き出し“かわいい”を作るヘアメイクの仕事【赤松絵利さんインタビュー】」>>
赤松 絵利
ESPER代表/ヘア&メイクアップアーティスト。雑誌・広告・ヘアメイクプランナーとして活躍。 蒼井優、綾瀬はるか、多部未華子、常盤貴子、松岡茉優(敬称略、五十音順) など多くの女優を担当。著書『世界一シンプルなナチュラルメイクの教科書』(講談社)
「私は大分県で生まれ育ったんですけど、子供の頃からずっと『将来は美容師になる』と言っていたんです。美容師だったおばから、『美容はいい仕事だ』と刷り込まれていたんですよね。
人に喜ばれる仕事だし、赤ちゃんから最期の人までずっと手がけることができる、すごく素敵な職業だなあと思っていました」
高校を卒業してすぐ、東京の美容専門学校で美容師の資格を取り、東京・裏原宿にあるサロンに入社しました。
「『アンダーカバー』の3軒隣にあったお店で、自由な空気に惹かれて入社しました。美容師1年生として働きながら、鏡や内装を自分たちで作ったりして、すごく楽しかった。裏原が、まだ裏原と呼ばれる前の時代ですね」
当時“ヘアメイク”という職業があることを知らなかった赤松さんが目指していたのは、一流の美容師になること。
しかし、突如、ヘア&メイクアップアーティストの仕事を目の当たりにする衝撃的なできごとが起こります。雑誌の撮影に、モデルとして(!)呼ばれることになったのです。
「『SHINBIYO』(美容専門雑誌)の“実際の美容師さんをモデルにして、直接ヘアメイクすることで次世代を育てる”という企画に呼ばれたんです。サロンに入って1年目に、モデルですよ(笑)。そこでヘアメイクをしてくれたのが、宮森隆行さんでした」
宮森隆行氏は、赤松さんが社長を務める「エスパー」の創始者で、日本を代表するヘア&メイクアーティスト。惜しまれながら2013年に逝去されましたが、赤松さんの師匠であり、人生のパートナーでもありました。
『Olive』『an・an』『とらばーゆ』など、80年代・90年代のカルチャーとファッションを牽引した雑誌で“かわいいの概念”を作ったクリエイターであり、日本発の“かわいい”を語る上でも最重要人物。
そんな宮森さんの仕事を目の当たりにして、「美容師とヘアメイクは全然違う!」と驚いたそう。
「メイクだけじゃなくヘアカットもしてもらって、自分じゃないみたいに垢抜けちゃったんです。『こんなクリエーション見たことない!』と思って。
ヘアメイクは美容師の延長線上にあるわけではなく、全然違う仕事だということが明確にわかりました。宮森さんにそう伝えたら、『体育館に同じ格好して集まっているけど、新体操部と体操部ぐらい違うんだよ』『準備運動までは一緒だからね』って言われて。
『私も新体操部でリボンまわしたーい!』って思ったんですよね(笑)」
「モデルは初めて」とは思えないほど、ポージングも決まっています。
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