ヘア&メイクアップアーティストになることを決めて、勤めていたサロンを辞めた赤松さん。
しかし、同時期に宮森さんとの交際が始まったため、とりあえず収入を得るためアクセサリーの卸のお店でアルバイトをすることに。

「手先が器用だからいろんな種類のアクセサリーを作ってました(笑)。2年経って、『やっぱり私は美容をやりたいんだよな』と思って。
それで、基礎を身につけるために、ヘアカットの1000本ノック修行に出たんです。1日に何十人ものお客様が来るヘアカットサロンで、毎日毎日髪を切り続けて、すごく鍛えられました。
『何百人カットする』という目標設定があったんですけど、1年程で達成して。23歳で宮森さん専属のアシスタントになりました」

アシスタントの仕事とは、主に道具の準備と管理、宮森さんのサポート。『Olive』をはじめとする赤松さんが憧れていた雑誌や、CM、広告など、数々の一流の現場を経験しました。

「ヘアメイクに関しては学校で習っていないので、宮森さんが現場でやっていること、言っていることを見聞きして勉強しました。背中で覚えろというより、自分で考えなさいというタイプでしたね」

雑誌『オリーブ』で活躍。女性ヘアメイクがほぼいない時代に、25歳で独立!【赤松絵利さんの「仕事前向き論」】_img1
雑誌『オリーブ』で活躍。女性ヘアメイクがほぼいない時代に、25歳で独立!【赤松絵利さんの「仕事前向き論」】_img3

当時の作品やスクラップがぎっしり詰まった自宅。

ヘアメイクの技術だけでなく、人との関わり方、仕事の信念、現場全体を俯瞰する大切さも学んだといいます。

 

「宮森さんからよく言われていたのは、『ヘアメイクの表現は人の身体を借りないと成立しない。だから、繊細な砂糖菓子を触れるように大切に扱いなさい』とか、『思いやりが一番大事』ということ。
ヘアメイクだけでは仕事が成立しなくて、いろんなスタッフさんとチームでやるから、いろんなことに目配り気配りができていないとダメだよ、っていうことだと思うんですよね。だから、スタイリストさんの荷物が重ければ手伝うし、モデルさんが寒そうだったらショールをかける。お茶を入れたり、お弁当の空箱を片づけたり、現場全体でアシストできることは、なんでもやりました」

それも、「あくまで自然に」やることを意識したのだそう。

「宮森さんからは『自分がやったことが相手に気づかれないぐらい、自然に動いて』と言われていました。
誰にも気づかれないぐらいサッとアシストすれば、編集者さんやスタイリストさんがやりたかったことがスムーズに実現できる。お礼を言われたり、気づかれるということは、アシストが自然じゃなかったり自意識が出てるということ。誰かがやることを代わりにしているだけだし、そこで褒められてもしょうがない、って。
面白かったのが、スタッフさんの目線で物事を捉えてみると、自分では思いもよらなかった世界が見えてくるんです。それが自分の成長になりましたね」