3年間のアシスタント時代を経て、ヘア&メイクアップアーティストとして独立したのは1999年。25歳半ばのこと。
男女雇用機会均等法が改正され、『とらばーゆ』が女の子のみの表紙から一週おきに男の子表紙になるなど、ジェンダーバランスの不均衡が変わりつつある過渡期でした。
赤松さんの独立は、宮森さんの「女性を独り立ちさせる」という強い思いがあったのだそう。

「当時はまだ女性のヘアメイクさんがほとんどいない時代だったんです。女の子に新しい価値観を提案する『Olive』でさえ、レギュラーでやってる女性のヘアメイクがいませんでした。
そんななか、宮森さんは『自分のいるフィールドに女性がいないことはおかしい。でも、自分が女の子のアシスタントを育てれば、絶対周囲が変わる。影響を受ける人や、自分もできると思う女の子も増えるはず。だから、女の子のヘアメイクを育てて活躍できるようにするのは、自分の使命だと思っている』と言っていたんです」

なんという先見の明! 事実、『Olive』に定期的に呼ばれる女性のヘアメイクは、赤松さんが初めてでした。

「今となってはそんな時代があったのが信じられないですよね。でも、23年前はそうだったんです」

プロになって初めてのお仕事は、雑誌『Chou Chou』での中谷美紀さんのヘアメイク。いきなりの表紙撮影でした。

当時、赤松さんが手がけた雑誌の数々。

「当時はSNSもない時代だから、宮森さんが現場でよく『うちのアシスタントがもうすぐデビューするよ』って言ってくれてたんです。
そしたら中谷さんが、『あなたが独立したら、最初の仕事は必ず私が指名する』と言ってくださったんです。本当にありがたかったなぁ」

そして、独立した直後に、赤松さんのヘアメイク人生における最初のターニングポイントが訪れます。

 

「DREAMS COME TRUEの『朝がまた来る』のPVでヘアメイクをやることになって、宮森さんが(吉田)美和さんを、私は西川(隆宏)さんとマサさん(中村正人)を担当したんです。
デビューしたての私なんかが……という気持ちでドキドキしちゃって、マサさんに『今日はどうしますか?』って聞いたの。そしたら、『それを決めるのはあなたでしょ。プロとして呼んでるんだから、遠慮せずにやって良いんだよ』ってピシャリと言われて。
で、『すいません! 私はこんなイメージがいいと思うんですけど、今日はこういうヘアメイクにするのはどうですか?』って提案したら、『やってみて』って。かっこいい! マサさん!」

そこで初めて、プロにキャリアの差は関係なく、1年目も20年目も同じ土俵にいることを実感したのだそう。

「プロになりたての時期にそう言ってもらえて、マサさんには本当に感謝しています。
私はいつも、ヘアメイク案をたくさんプレゼンしちゃうんですけど、この経験があったからだと思います」