友達付き合いをする上で、ひとつだけ心に定めているルールがある。それは、「どんなに忙しくても、その日の急な誘いは断らないこと」。そう決めたのは、何年か前のある夜のことだった。

もともと人を誘うのが得意な性格ではない。自分なんかが誘って相手は嫌がらないだろうか、とか。いざ出かけたところで間が持つだろか、とか。そういうあれやこれやが気になって、どんどん気が重くなってしまう性質なのだ。

特に仲良くなりたての相手の場合、まず自分からは誘えない。大人になってくると、人付き合いの距離感も人それぞれだ。学生の頃のようにいつも一緒にいることが友達の定義ではない、ということもなんとなくわかっている。プライベートの時間はできるだけひとりでのんびり過ごしたい人。公私の線をはっきり分けたい人も多い。そして、それをできる限り尊重したいと僕も思っている。

 

だから、なんとなくご飯に行ってみたいなと思う相手でも、気軽に「飲みに行きましょう」なんて誘えない。相手の出方を見て、向こうから誘ってくれたら、あ、この人は飲みに行ったりする付き合いがアリな人なんだと多少誘いやすくはなるけど、いざ食事に行ったところで全然つまらないと思っていたらどうしようとマイナスなことばかり考えてしまうし、お酒を飲んだ帰り道はいつも、あそこであの返しをしたのはまずかったかもしれないと、ひとり反省会。相手が満足してくれたかどうか確信が持てなくて、なかなか次が誘えない。企業セミナーみたいに、最後に満足度をはかるアンケートでも出してもらえればまだいくらか楽なのに。まあ、たとえそのアンケートの【また飲みたいと思う】にマルをしていても、社交辞令かもしれないし…! と疑ってしまうのだけど。

こんな性格だから、急に人恋しくなっても、当日に誰かを誘うなんて到底できやしない。小学生じゃないんだから、今日遊べる? なんていきなり言われても相手にも予定があるだろうし、降って沸いたような寂しさを他人を使って埋め合わせしている感じが、なんとも利己的だ。そんなセレブな振る舞いが許されるのは叶姉妹くらい。そうずっと決め込んでいたのだけど、一度だけ叶姉妹になったことがある。

その夜、僕は参りきっていた。こういう仕事をしていると、まったく知らない人からインターネット上で悪く言われることがしばしばある。最初の方こそ心臓に直接刃を当てられたような気持ちになっていたけど、むき出しの悪意にもいつしか慣れ、スクショして友人たちとのグループLINEに投下するくらいの肝っ玉は身につけられるようになっていた。

けれど、傷ついていないつもりでいただけで、本当はちゃんといちいち傷ついていたのだろう。会ったこともない人に発言の一部だけを切り取られて人格を否定されてしまうことに、お付き合いのある編集部に「この人の記事は読みません」とわざわざ連絡を入れられることに、自分は誰かから嫌われているんだと自覚することに、心は知らない間にボロボロになっていた。