江戸末期から明治に変わりゆく激動の時代にはさまざまな人間模様がありました。“幕末もの”は大河ドラマをはじめ、多くのドラマや映画になっています。歴史に翻弄されたのは、ドラマに登場するような著名な人物だけでなく、市井の人々も同じ。8月末に最終4巻が発売された『扇島歳時記』(リイド社)は、日本と異国の文化が交錯する、長崎・出島が舞台の物語。否応なしに流れゆく歴史の荒波と、遊郭の女郎になることが定められていて抗えない少女“たまを”を中心とした群像劇です。

『扇島歳時記(1)』(乱コミックス)


見るものすべてが魅力にあふれる、長崎・出島の暮らし。


2020年に第24回手塚治虫文化賞「マンガ大賞」を受賞した『ニュクスの角灯(ランタン)』は、明治初期の長崎が舞台の物語です。触れた物の未来が見える不思議な力を持つものの、内気な少女・美世が、青い目の混血青年・百年(ももとし)が営む骨董店で働きはじめたのをきっかけに、自ら人生を切り開いて海外に飛び出していき、大人になっていく過程を描いています。

 

作中に出てくる日本や西洋の骨董品の数々はどれも魅惑的で、美世の成長ぶりやほろ苦い恋、見るものすべてが刺激的で魅力にあふれる異国での暮らしなどを丁寧に描いています。この物語で、骨董店で扱う洋服の裁縫を手伝うたまという女性が登場するのですが、『扇島歳時記』は、このたまの幼少期を描いています。

 

長崎の丸山遊郭で生まれた“たまを”ことたまは、両親が誰なのかを知らない14歳。いまは遊女見習いの禿(かむろ)として、遊女たちの身の回りの世話などをしています。物語が始まるのは、1866(慶応2)年の冬。姉女郎・咲ノ介と、遣手(やりて・遊女などを監督する女性)のお滝とともに、出島にあるオランダ商人・ハルトマン邸に入ることになりました。出島は江戸幕府の対外政策の一環として作られた人工島で、オランダからやってきた宣教師や商人たちが住み、貿易や文化交流を許されていた場所です。オランダ人はこの島から出ることができず、日本人も遊女や高野聖などをのぞく一般人は出入りを禁止されていました。

 

咲ノ介は主人となるハルトマンに気に入られるように、たまは炊事や洗濯、掃除などに精を出すよう、お滝に言い渡されます。ハルトマン邸は立派な台所や風呂場がある立派なところで、ハルトマン自身も優しそうな感じ。早速食材を買い出しに行き、そこでオランダ人は塩漬けのニシンをよく食べるので、コノシロを勧められます。コノシロを買ったものの、塩漬けの方法がわからず困ったたまは、道すがらシェフの格好をした男性に遭遇します。たまがその男性・岩次に声をかけたところ、オランダ領事館の料理人とわかり、塩漬けの方法を教えてもらうことに成功します。ちなみに、この岩次は、『ニュクスの角灯』にも登場しており、骨董店を営む百年の義父でもあります。

 

このようにたまはとても素直で好奇心旺盛な女の子。知らない男性や外国人にも物怖じせず、誰とでも仲良くなってしまうので、出島の洋館での暮らしにもすぐに馴染んでいきます。たまが日々こなす仕事は大変なものの、外国の料理やオランダ正月と呼ばれるクリスマスなど、すべてが新鮮に見えるせいか、とても楽しそうに過ごしているようです。

 



郭に生まれた少女は、女郎になる宿命から逃れられない。


他の同世代の少女に比べて小柄なたまは、おっとりとした性格もあってか、お滝や遊郭の面々にはあまり賢くないと思われており、そう思われていることにうすうす気づいているたまは、そのことを少し悲しく感じつつも、同じ生きるなら少しでも楽しく生きたいと思っています。

しかし、たまはほかの少女と違って、遊女になることが運命づけられており、逃れることができません。周囲の大人はそのことを知っているだけに、楽しそうにしているたまを見るにつれ、不憫に思えてなりません。できることは、彼女のその先の人生が、少しでも幸せであってほしいと願うことのみ。たま自身もそのことはわかっているだけに、「大人になんかなりとうない」と思いつつ、せめて今を楽しむことしかできないのです。

 

たまが働くハルトマン邸の隣には、フランス人のヴィクトールという少年が暮らしていました。貿易商の父に引き取られて日本に来たものの、父は女郎だった日本女性との間に娘を二人もうけており、家族の輪に入れず、孤独な毎日を過ごすのみ。窓の外を眺めていたヴィクトールの目に飛び込んできたのが、生き生きとしたたまの姿でした。日本人形のように愛らしいたまに心を奪われるヴィクトール。たまとのささやかな交流やヴィクトールの淡い恋心、やがて女郎となるたまを救いたくても救えない厳しい現実も描かれていくことになります。

 

時は、慶応から明治へと向かう混沌とした時期。大政奉還や坂本龍馬の暗殺、戊辰戦争といった歴史のうねりは長崎にも容赦なく飛び火していきます。やがて、たまは初潮を迎えて丸山遊郭に戻ることに。成長が遅いながらも、実は賢くて器量もあるということに周囲の大人が気づき、たまは引込(ひっこみ・上級の太夫になるために特別な教育を受ける少女)として抜擢され、同期女郎のりきやたちと一緒に、一人前の遊女になるための修行が始まることになります。

郭で生まれ育った少女が無垢でいられる時期はあまりにも短くて儚いもの。男女の情の交わし方や駆け引きなどといった知識も詰め込まれていき、否応なく大人にならざるを得なくなります。


綿密な取材に裏打ちされた物語に、思いを馳せて。


本作では、四季の移り変わりに合わせて、異国情緒漂う出島の暮らしや、遊郭独特のしきたりなどが丁寧に描写されています。一部の人物をのぞいて現実にいたわけではありませんが、作者・高浜寛さんの綿密な取材に裏打ちされているだけあって、たまをはじめとした登場人物たちは、その時代にまさにそこにいたかのようにリアルで、生き生きと動き回り、楽しみ、葛藤し、人を愛し、日々を精一杯生きています。

これは、フィクションとノンフィクションの狭間が見せる、幻影のような美しい物語。時には過酷な現実も真正面から描いているからこそ、なおのこと美しい輝きを放っています。幕末から明治へと変わる2年間を描いた本作は、幕末の1865(慶応元)年、絶世の花魁・几帳を主人公にした『蝶のみちゆき』、明治時代に入って10年目で西南戦争の翌年である1878(明治11)年から始まる『ニュクスの角灯』と合わせて、長崎三部作と称されています。

『扇島歳時記』では、たまが少女から大人へと変わりゆく過程を描いていますが、『蝶のみちゆき』ではたまは幼い禿として、『ニュクスの角灯』では、遊郭を出て一人で生きる女性として登場します。他にも岩次やヴィクトール、百年などといった中心的な登場人物の人生も各作品で垣間見ることができます。フランスなど海外で高く評価されている作品群は、いつまでも手元に置いておき、何度も読み返したくなる名作揃いです。装丁も美しいので、電子派の人もぜひ単行本を手にとってみてください。


高浜 寛 たかはまかん
熊本県天草生まれ。筑波大学卒。『イエローバックス』でアメリカ「TheComics Journal」誌「2004年ベスト・オブ・ショートストーリー」受賞。海外での評価も極めて高く、著作の多くがフランス語訳されている。各国の著名なBD作家らと共に「カルティエ」の商品ブックレットに作品を寄せており、『蝶のみちゆき』は谷口ジローとペータース&スクイテンが絶賛した。『ニュクスの角灯』で「第24回手塚治虫文化賞 マンガ大賞」および「第21回文化庁メディア芸術祭マンガ部門・優秀賞」受賞。同作はフランスの全国の中学校教員による推薦図書にも選出されている。また、フランス文学の不朽の名作を世界で初めて漫画化した『愛人 ラマン』が日仏伊独4カ国で同時刊行されるなど、国内外からますます注目が集まっている。

 

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『扇島歳時記』
高浜寛 リイド社

たまを 十四歳。廓に生まれた少女が残した季節の記憶

慶応二(1866)年、日本の花鳥風月と異国の文化が交錯する長崎・出島……
早逝の宿命を背負い、無情なほど美しく過ぎゆく季節を生きたある少女の物語。



©️高浜寛/リイド社