松本まりか、山田裕貴とのラブシーンで掴んだ感覚「欲望を突破口に、気付かされることがあるんだなって」_img0
 

『そこのみにて光輝く』『オーバー・フェンス』と同じ、故・佐藤泰志の小説を高田亮の脚本で映画化した実写映画『夜、鳥たちが啼く』。売れない小説家の慎一(山田裕貴)の一軒家に身を寄せる、シングルマザーの裕子(松本まりか)と息子・アキラとの、奇妙な半同居生活が綴られます。これ以上傷つきたくないけれど、ぬくもりを求めずにはいられない。理性と本能の間で葛藤する裕子を全身全霊で演じた松本さんにインタビューを行いました。

 


ーー語り口はシリアスですが、白黒の答えを出さないグレーな結末に楽観主義的な希望が見えて、「大人の青春映画」という印象を受けました。この結末に救われる人はたくさんいると思いますが、松本さんがこの映画に参加した際に、誰かに届けたいという意識はありましたか?

基本的に私はまだ、「届けたい」とは言えません。それよりも、自分がこの作品から何かをつかみ取りたいと思っていました。この作品が私にとって何かを変える突破口になるということは現場に入る前から感じていたので、この作品に触れることが自分にとって必要でした。

ーー個人的な動機だったんですね。なぜ、何かを変えたかったのでしょうか?

この作品に参加した頃(2021年10月)は、八方塞がりの状態だったんです。何年間か自分の範疇外のことが予期せず起きて。お芝居だけでなくバラエティーや広告、取材、ファッション関係などいろんなお仕事をやりました。それまで20年くらい溜め込んだ自分のエネルギーを出し続けた結果、自分が空っぽになって、何も考えられない状態になってしまった。そこでこの映画のお話をいただいて、必要な何かを気づかせてくれる作品になるぞ、という直感があったんです。

現場では、思っていることと言動が違う感じになってしまうところ、悶々としたものをどこにぶつけていいのかわからないところ、究極に何かを欲しているところなど、裕子の感覚と同化していたような気がします。それってとっても主観的なことなので客観的に見れなかったけれど、そのおかげで慎一君とのシーンでは山田君といいエネルギー交換ができたんです。この作品を通して、思考や理性に囚われすぎて自分を見失った時に、自分の欲望を突破口にすることで、気付かされることがあるんだなと思いました。
 

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