パンドラの箱は、そのままで
「え?」
拓人は今日、初めて、私の顔を正面から見た。
私の知る彼は、根は小心者で真面目だったから、避妊には気を付けていた。女の体の周期にも医者としての知識があったから、そう危ないことはしなかった。
だからこそ、あっさり他に子どもができたから別れたいと聞いたときには、それだけ本気なのかと失望したものだが――。
3人目の子、本当にあなたの子?
私は最後の情けで、その言葉を飲み込んだ。人生には、開けなくていい箱がいくつもある。
「……今日は会えて良かった。もう、あのクリニックに行くのは止すね。お互い、自分の人生の落とし前をしっかりつけないとね」
私はにっこり微笑むと、スツールから降り、5千円を置いて立ち去った。
美容皮膚科のCMを見たとき、彼の顔を見つけて、思わず声が出た。インターネットで勤務先を調べて、診察予約を入れたこと知ったら、拓人は何というだろう。「女って怖い」と震え上がるだろうか。
でも、そんな逡巡も、今日で終わりにしよう。過去ばかり見ていると、今向き合うべき問題を見逃してしまう。
私は、数年ぶりに、夫とゆっくり飲むための上等なワインを買って帰路につく。
時間はたっぷりある。同じ後悔をしないために、毎日を少しずつ積み重ねて関係を、人生を再構築するのだ。
夜道で空を見上げると、いつになく明るい月がぽっかりと浮かんでいた。
一戸建ての隣人の子育ては完璧。しかしある日聞こえてきたのは……?
ありふれた日常に潜む、怖い秘密はこちらから……。
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構成/山本理沙
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