道を、味わう
「雪野ちゃんの受験、本当にお疲れ様だったわね。エリカの後輩じゃないのは残念だけど、雪野ちゃんが進学する学校も素晴らしい学校だって評判を聞いてるわ。名門への進学率も本当に凄いのよね」
婚約のお祝いに美味しいお菓子をいただいたからお茶にきてと誘われ、心地よく整えられたリビングに通されるや否や、麻由美さんは「本題」に切り込んでくる。
「そうなの。第一志望残念で……半月くよくよしたけれど、今となってはうちには良かったんじゃないかなって」
私の言葉を「すっぱい葡萄」と取ったのだろう。麻由美さんはしんから同情したような顔をして私を見た。
「大丈夫、中学受験で失敗したのは痛恨だけど、まだまだ『勝てる』チャンスはあるわ。諦めちゃだめよ。子どもにいい環境を与えるのが親の使命なんだから」
いつもは頷く、麻由美さんの言葉。私は目を伏せたままゆっくりとアールグレイを飲む。湯気のあとで、強すぎるほど強い香りが、まっすぐに鼻腔を刺した。紅茶にも淹れたひとの人となりが出るのだろうか。
勝ち続けるために、麻由美さんが日々どのようにやってきたのか、私は知っている。それが正解なのかはわからない。満足のいく「最高の結果」を手に入れたのだから、きっとそれが「麻由美さんの子育ての正解」なのだろう。
でも、どうしてもそれを羨ましいとも、なぞりたいとも思わなかった。
「それでね、私、もうすぐ孫を抱っこできるみたいなの、実は。有名な産院て大変なのね、5週目くらいに出産予約をしないとダメなんですって。エリカの旦那さまのドクター仲間に口をきいていただいて、なんとか予約できて安心しているの。名門幼稚園や小学校には、生れた産院も書くところもあるらしいから……雪野ちゃんもいつかお子さんを産むときは、すばやく行動したほうがいいわよ」
私は今度こそ、おかしくて思わず笑ってしまった。麻由美さんはきょとんとした表情でこちらを見ている。
せっかく満願成就したのかと思えば、また次の「目的」が出現している。もっと、もっと。絶対解を設定し、達成するために全てを懸ける。そして麻由美さんは何処へ向かっているのだろう? その先にあるのは本当に「幸福」なのだろうか?
彼女を否定するつもりはない。でも、少なくとも私が目指す人生は、少し違うものな気がした。
「本当に凄いわ、東京の子育て。そして麻由美さんも。ずっと『勝ち続ける』って大変なのね。うちはそういうのじゃなさそうだけど……麻由美さんの情熱が本物だってこと、よく知ってるわ」
何か言いたげな麻由美さんに、丁寧に紅茶の御礼を言うと辞去して、我が家に戻る。
今夜の献立は何にしよう? 雪野が今、一番食べたいものを訊いてみよう。
この2週間、不合格だった第一志望から繰り上がりの電話がかかってくるかもしれないとろくに買い物も行かずに携帯を気にしていた。ずっと祈っていた。
でも今日は、とっておきの食材を買いに、ゆっくりと車で遠出をしようと思う。
進む道は、そこに集中して楽しめば、きっといつか正解になる。終わらない戦いの結果だけに拘るよりも、涙も笑顔も受け止めたい。
車を運転しながら、ふと、そんなことを思う。
冷めた妻と、空回りする夫。ある夜、事件が起きて……?
ありふれた日常に潜む、怖い秘密はこちらから……。
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構成/山本理沙
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