誤解を避けるために言えば、この年下男は無責任な最低男ではまったくありません。そりゃビジュアル的には「めっちゃイケメン!」というタイプではないんですが、クマちゃん系の優しい男の子で、ブリジットの妊娠を知っても引いたり逃げたりすることなく、産むこと前提で頑張るつもりもある。
むしろブリジットから「てか、君と私は恋人の関係じゃないし」と言われて、え? え? みたいになり、それでもブリジットを大事に思っているような、私からしたら「すごくいい子なのに、ブリジット、なんで!」というような関係です。さらにこの男子が「買い」なのは、中絶を決めたブリジットの意志を尊重し、その後の体調不良をちゃんと理解し付き合ってくれること。
ここに描かれているのが何かといえば、昨今言われるようになった「リプロダクティブ・ヘルス&ライツ」というものです。直訳すれば「妊娠、出産、中絶に関する健康と権利」。平たく言えば「妊娠、出産、中絶における決定権は女性にある」という考え方です。
その過程における精神的、肉体的負担のほぼ全てを女性が引き受けざるを得ないわけだから、当然といえば当然のこと。でも実際には「跡取りを産むのは嫁の務め」とか「妊娠したら出産するのは当たり前」とか「仕事のために中絶するなんて……」と、望まない妊娠や出産を「あからさまに」強いられている女性は今も世界中にいます。
日本では「子供を産まない人間は非生産的」とか「女性は産む機械」なんて発言はさすがに反発を生みますが、高校生女子などを対象に「子供は20代で」「中絶に否定的」「家庭重視」という内容の冊子を配るなどといった逆方向のリプロ教育は、地方自治体を中心にやんわりと行われています。
欧米の諸外国では一般的な緊急避妊薬が気軽に入手できないことも、この流れの中にあるものです。「気軽に中絶すべきでない」という論調はもちろん否定しませんが、本作品は中絶が決して「気軽」ではないことーー日本のドラマなどで見る「手術すれば一件落着」ではないことも、きっちりと描いています。
映画はこれのみならず、現代女性の悩みをちりばめてゆきます。例えばフランシスの両親、マヤとアニーのレズビアンカップルに対する差別、フランシスを育てながら妊娠中でもあるマヤの孤独、一家の大黒柱なのにマヤといると「乳母」のように扱われる黒人女性のアニー。誰もが自分の抱える生きづらさに対して「つらい」と言えないのは、そこにある劣等感を認めてしまったらもっとつらくなってしまうから。
でもそれは世の中に「お前は劣等だ」と思わされているだけ、植え付けられた価値観でもあります。「女なのに」とか「女のくせに」とか言われる以前は、誰もがフランシスのように、自由奔放に好き放題に生きていたはずだから。ラストシーンには「下の世代には、同じ思いを背負わせたくない」というブリジットからフランシスへの思いが描かれているように思え、感動的です。
<作品紹介>
『セイント・フランシス』
34歳で独身、大学も1年で中退し、レストランの給仕として働くブリジットは夏のナニー(子守り)の短期仕事を得るのに必死だ。うだつのあがらない日々を過ごすブリ ジットの人生に、6歳の少女フランシスや彼女の両親であるレズビアンカップルとの出会いにより、少しずつ変化の光が差してくる――。
構成/山崎 恵
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