もしも『銀河鉄道999』の世界にSNSがあったら……


ところが……、意外なことに胸が熱くなったのはここまででした。その後も鉄郎は、恐ろしい山賊からメーテルを助けたり、後悔を残したまま命尽きる人間の姿を目の当たりにしたり。多くの人に助けられながら、素敵な経験も辛い経験も重ね、確実に大人への階段を上っていきます。そしてこれらはどれも、「そうよね、辛いよね」「分かるよ、その戸惑い」と手放しで肯定してあげるべき成長なはず。なのですが、何だろう、どうにもモヤモヤする……。物事ってこんなに簡単なのだろうか?

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写真:Shutterstock

というのも、鉄郎の思いは常にシンプルなのです。目指すは機械化人になって母親の復讐を果たす、これ一点のみ。そのためにすべきことも、アンドロメダに行って機械の体を手に入れる、これ一点のみ。だから行動に躊躇も恐れもありません。それゆえ何というか、この冒険って体力的にはキツいけれど精神的には迷いがなくてラクかも……。胸を熱くしながらも、私は半分そんな失礼な思いにも襲われてしまったのです。

たとえばこの鉄郎の状況を、今に当てはめてみたとします。まず違ってくるのは、今はネットニュースもSNSもありますから、大量の情報が入ってくるという点でしょう。鉄郎は停車駅がある星に降り立ち、そこで様々な危険に陥ります。法のない星で殺されそうになったり、人間の体が埋められた氷の星で凍死しそうになったり。こうしたピンチを間一髪で乗り越え、それが彼を強い大人へと成長させていくわけですが、今だったらコトはそうシンプルにはいかないでしょう。

この情報化時代。おそらく現代版鉄郎なら、嫌でも事前に停車駅に関する大量の情報を得てしまっているはず。そうすると「この星は無法地帯だから列車から降りないでおこう」という賢明な判断を下してしまうかもしれません。次の「氷の星」だって同様です。何なら旅の大きな目的である機械伯爵の居場所を突き止めるということだって、徹底的にググればそれらしき情報が出てきて、もっと効率的にたどり着くことができるでしょう。これは茶化しているわけでも何でもなくて、そんなふうに今の若者たちは素直に大人への階段を上らせてもらえないのではないか、ということを痛切に感じてしまったのです。

 

多様性を欠く鉄郎の正義


当初は自分でもナンセンス過ぎると思ったこの比較。でもこれが、決してそうとは言い切れないという思いに変わったのは、鉄郎が機械伯爵を倒したときのことでした(この時点で鉄郎は機械化人にはなっていません)。

旅の過程で多くの機械化人、そして生身の人間に出会ってきた鉄郎は、復讐を果たしてある結論にたどり着きます。それは「限りある命だから人は精一杯生きるし、思いやりや優しさが生まれる」というもの。ここまでは、現代に置き換えても共感できます。でも、そこからが……。何と鉄郎は、「永遠の命を手に入れられるからって機械になんかなっちゃいけないんだ。だから僕は機械の体をタダであげている惑星アンドロメダへ行って、星を破壊するんだ!」と言い出すのです。ええっ!?

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だって、機械になっても“いい人”はいるはず。機械になっても精一杯生きている人だってたくさんいるはずです。実際、旅の途中で鉄郎は、そういった善良な機械化人に何度となく助けられてきています。そして何より、決して人間たちは機械になることを強制されているわけではない。もちろんお金はかかりますが、なるかならないかは完全なる本人の自由です。その選択肢を、果たして自分一人の思いで奪っていいものか……。若者に限らず多様な情報を取得してしまっている現代人なら、どうしたってその壁にぶつかって動けなくなってしまうことでしょう。

鉄郎の結論は、最大多数の最大幸福という点では必ずしも間違いとは言えないかもしれません。アンドロメダを破壊して誰も機械になれなくなったとしたら、たしかに傲慢な機械化人はいなくなり、結果的には「良かった良かった」となる可能性もあるでしょう。だけど世の中にはいろんな人がいる。そしていろんな価値観がある。大量の情報から私たちは、正義は一つではないことを知ってしまっているのです。そう考えると、もはや鉄郎のようにスッキリと一つの答えを見出しその道を突き進むことは、ほとんど不可能なことのように思えてしまったのです。
 

『銀河鉄道999』と同じく機械化時代に生きる私たち


現代は永遠の命こそないけれども、『銀河鉄道999』と同じく、ある意味機械化されている時代だと言えるかもしれません。テクノロジーにより私たちは、一生涯においてかつてとは比較にならないほど大量の情報を得られるようになったし、生活だって劇的に快適になりました。ただその機械化と引き換えに背負ったものは、「これが幸せなんだ」「これが正義なんだ」と一つの答えにたどり着けないしんどさだったのかもしれない。映画を見ていると、限りなくそんな気がしてしまったのです。

終わってみれば、『銀河鉄道999』の再視聴で見えてきたものは、皮肉にも「今を生きるツラさ」のようなものでした。鉄郎は「機械になって永遠に生きることだけが幸せじゃない」ということも言っていましたが、たしかに今多くの人は、機械化によって必ずしも幸せにばかりはなっていないことを感じます。こればかりは、鉄郎の“決めつけ”が正解なのかも、と言わざるを得ないのかもしれません。……いやでも、幸せになっている人もいっぱいいるだろうし、やっぱり何事もこれが正解なんて言いきれないし……。結局、永遠にグルグルしてしまうのでした。
 


取材・文/山本奈緒子
構成/坂口彩
 

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