父が晩年「ネット右翼」になったと感じたことから、心を閉ざしたまま看取った文筆家の鈴木大介さん。父を変えた「右傾コンテンツ」に対する怒りをぶつけた手記をweb上に発表し、反響を呼びました。しかしどうにも腑に落ちない鈴木さんは「ネット右翼」についてリサーチしつつ、母、姉、叔父、姪、父の親友といった関係者への聞き取りを重ねます。3年半にわたる検証作業を経て亡き父との邂逅を果たした鈴木さんは、その行程を『ネット右翼になった父』(講談社現代新書)として書籍化。発売後たちまち重版がかかり、好評を博しています。
刊行を記念して特別対談をお届け! 鈴木さんが対談のお相手にご指名したのが、昨年〔ミモレ編集室〕の講座にも登壇していただいた、エディター/ライターの青山ゆみこさんです。オープンダイアローグ※仲間でもあるお二人、対談前半も「相手が語り尽くすまで傾聴する」というオープンダイアローグ形式で進められました。後半では「人物像の解像度」「分断」そして「グリーフケア」について、さらに対話を重ねます。
※オープンダイアローグ:「開かれた対話」を意味し、フィンランドの西ラップランド地方で開発されてきた精神科医療の包括的なアプローチ。患者とその家族や友人、精神科医だけでなく、臨床心理士や看護師といった関係者が1カ所に集まり、チームで繰り返し「対話」を重ねていくもの。
『ネット右翼になった父』を読みながら“大介、お前何してくれとんじゃい!”って思った。【鈴木大介×青山ゆみこ】>>
書いていてアホほどつらかった本だったけども、ある意味ではハッピーエンドだった
鈴木大介さん(以下鈴木):初校の段階では母は内心「この本が世の中に出たら、私の人生どうなっちゃうんだろう?」と思っていたようです。綺麗に看取ったはずの父のことを全部周りに見られちゃう、ということがすごく怖かったらしい。でも家族でちゃんと父親像を造り直していって、それが伴侶である母のよく知っている父親像だった。母の中で、この本に最終的に書かれた父が、自分が60年間愛し続けた男性なんだ、と着地したので。なので母は今、知人にも本を勧めようかなと思ってくれている模様。実際、父たち世代の特に男性には、許容できない内容も多いとは思いますが、刊行後に母がそう思ってくれるとは想定してなかったので、ちょっとそれも嬉しいプレゼントというか。本当に、書いていてアホほどつらかった本だったけども、そういう意味ではハッピーエンドなんですよ、と半ばゆみこさんに言い訳(笑)。
青山ゆみこさん(以下青山):いえいえ(笑)。『人生最後のご馳走』は、「ホスピスに入院されている皆さんは何を食べたいと思うのか?」といった単純な、人間としての好奇心から取材を始めたんです。でも書く段階になって、お話を聞かせていただいた皆さんは、既にこの世におられなかった。「誰のために、何のために、お聞きした言葉を残したらいいのだろう?」ってがく然としました。
病室のベッドでは、「自分は好き勝手に生きた」「好きにやらせてもらった」「家族には悪かった」といったことをいろんな方から聞いたんです。そんな言葉は、私にというより、付き添いでその場におられた家族に向けられているように感じました。身内にわざわざ言えないけど、第三者の私が相手だから、話せたのかもしれないって。限られた時間で話を聞いただけの人のことを、「この人はこういう人だった」とは私には書けないけれど、話してくれた方が、家族の皆さんに伝えたかったかもしれない言葉なら、書けるかもしれないと。
『ネット右翼になった父』では、大介さんが言語化できる能力と話を客観的に聞く能力があって、家族の中心となってお父様の人物像を一致させていったけど、その像は一致しなくてもいいと私は思っているんです。むしろ一致させることなんてできない、誰かのことを完全に理解することなんてできない。そこを私は常に見誤っている気がしていて。「わかり合えないけど一緒にやっていこう」と言い続けて、ようやく何とか一緒にやっていけるんじゃないかな。大介さんやご家族が「お父さんこういう人だったよね」と共通の人物像を持てたのはすごく素敵なことだし「良かったな」とは思う一方で、その共通の部分が全てではない、ということも常に忘れたくない。人に対して「その人はこうである」と決めつける、それ自体が危険だってことを。
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