父が晩年「ネット右翼」になったと感じたことから、心を閉ざしたまま看取った文筆家の鈴木大介さん。父を変えた「右傾コンテンツ」に対する怒りをぶつけた手記をweb上に発表し、反響を呼びました。しかしどうにも腑に落ちない鈴木さんは「ネット右翼」についてリサーチしつつ、母、姉、叔父、姪、父の親友といった関係者への聞き取りを重ねます。3年半にわたる検証作業を経て亡き父との邂逅を果たした鈴木さんはその行程を『ネット右翼になった父』(講談社現代新書)として書籍化。発売後たちまち重版がかかり、好評を博しています。
今回、刊行を記念して特別対談をセッティング。鈴木さんが対談のお相手にご指名したのが〔ミモレ編集室〕講師としてもおなじみ、エディター/ライターの青山ゆみこさんです。長年交流がありともに執筆を生業とするお二人による、超濃密な対談をお届けします。
父を「ネット右翼」認定し、心を閉ざしたまま看取った僕の後悔>>
「ネット右翼になった父」に心を閉ざした弟、「しょーもない父」と受け止め対峙した姉>>
ゆみこさんと対談したいと思ったのは、ストレートに「この本良かった」と言わなかったから
鈴木大介さん(以下鈴木):ゆみこさんのことを意識したのは、ホスピスで週に一度振る舞われる「リクエスト食」と患者さんやご家族の思い出や、それを支える医師や病院スタッフへ丁寧に取材した『人生最後のご馳走』(幻冬舎文庫)でしたね。僕は取材対象者と結構長い時間をかけて人間関係を紡いでいくタイプなので、近いうちに亡くなることがわかっている方を取材するということに対して「この人はどんなメンタルでやってるんだろう? 僕にはちょっと無理だな」と、純粋に取材者としての青山ゆみこにまず尊敬と興味があって。
僕自身、『人生最後のご馳走』を父を看取るまでの教材として使わせていただいて。人が最期を迎えるにあたり、「食」がどれだけの尊厳なのか、を教えられました。抗がん剤の副作用で早々に味覚を失ってしまった父に何だったら味がするのかを聞いてみたら「日本酒と蕎麦ならまあまあわかる」と。それで旅先で日本酒を探して手渡したり、通院の付き添い後に地域のお蕎麦屋さんに連れて行って一緒に食べたりして。右傾化した発言をした父とも「食」を介して、最後に交流ができたんです。あと『ほんのちょっとの当事者』(ミシマ社)でゆみこさんが「亡き父のステテコを履く」と書かれていたのに影響され最近僕も父の遺品を身に着けています、「父を着る」みたいな(笑)。
ゆみこさんと対談したいと思ったのは、『ネット右翼になった父』についてストレートに「この本良かった」と言わなかったから。「良いとも言えないし悪いとも言えない、どう言語化すればいいかわからない」と、ずっとモヤモヤされていて。そのモヤモヤについて聞いたら多分、ミモレ読者の皆さんもこの本の解像度が上がるんじゃないかと思い、指名させていただきました。
青山ゆみこさん(以下青山):ありがとうございます(笑)。私が鈴木大介という書き手を知ったのは、貧困に関するルポルタージュが最初でした。取材モノなのに当事者の側にいるような取材スタンスで、取材者というより「中の人」として大介さんの声が届いてくることにものすごく驚いたんです。「なんやろ、この人?」って思わずググったほど。でも当時は顔出しされてなかったでしょ? 貧困の現場の実態として内容には限りなくグレーな部分も多いし、鈴木さんの存在もよくわからない。なんだか怪しい人? みたいな(笑)。でもすごい書き手だ、と勝手にファンになってTwitterをフォローしていたところ、『人生最後のご馳走』を読んでくださってビックリ!
私の父は60になる前に脳梗塞で倒れて、重度の半身麻痺の後遺症が残ったんです。兄と弟は私より先に結婚して孫も生まれて、私も一人暮らしをしていたので、夫婦二人になった実家では、母が父を一人で介護していました。父は体が不自由だし思い通りにならないで、本人もつらかったと思います。とはいえ身を削って自分を支えてくれる妻への気遣いも感じられない。そもそも昔からとにかく男が偉いという考えの人で、私は「娘である自分は家族のおまけ」という気持ちがあったんです。30代半ばで結婚したときに、もうこれで「娘としての役割は果たしたはず」と開き直って実家とは距離を取るようになりました。
ただ、15年近く一人で父を介護していた母ががんになって、母のために父と関わらざるを得なくなった。2016年に出た大介さんの『脳が壊れた』(新潮新書)を知ったのはそんな時期で、読んで冷や汗が出るほどショックを受けたんですよ。病に倒れて以降、身勝手に思える態度が強くなった父の人格を否定していたんですが、もしかすると高次脳機能障害という病気のせいなのかも……と。
結局、母が先に命尽きて、その後の2年ほど、きょうだい3人で父を介護することになったんですが、やっぱり理解できない言動を目にする中で、「この人も、自分ではどうしようもない部分があるんだ」とその人を丸ごと否定せずに向き合えたことは、とても大きかった。病気になる前は、人として良いところも結構あったと思い出せたし、認知症が進む前に父ともっと話したかったとまで思えるようになりました。そういう意味でも、大介さんは私にとって特別な書き手。『脳が壊れた』は当事者が自分自身を徹底的に取材して書くという希有な本ですよね。だから、『ネット右翼になった父』は、「すごい取材をするルポライターの新刊」としても読んだんです。
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