米・ケンタッキー州の小学校で行われた、ChatGPTを使った授業。内容は、州のアイコンであるモハメド・アリについて書いた要約文の中から、どれがクラスメイトが書いたもので、どれがChatGPTによって書かれたものなのかを当てようというもの。写真:AP/アフロ

1990年代以降、インターネットやそれに伴う検索技術の発達で、知的作業の環境は激変しました。誰でも必要な情報を入手できるようになったことから、格差の縮小が予想されましたが、現実社会はまったくの逆方向に動いています。

 

検索エンジンの普及によって、スキルが高い人は、さらに大量の情報を整理できるようになり、ビジネスや資産形成に応用し、高い成果を得ています。一方、スキルが低い人は、ネットに多くの有益な情報が転がっていても、それをうまく整理できません。単純にウィキペディアに書いてあることを丸写ししたり、ツイッターで飛び交っている真偽不明の情報を鵜呑みにしている状況で、両者の差は技術が発達すればするほど大きくなってしまいます。

ChatGPTは、従来のAIと比較して、機械とのやり取りが簡単になりますから、考えることを放棄する人が増えることでしょう。さらに言えば、AIが返してくる内容があまりにも自然で本物らしいため、そのまま丸コピする人が増えることも容易に想像できます。

困ったことに、人間というのは、内容が簡単なことと、文章が親しみやすく分かりやすいことを混同しがちです。

文章が分かりやすいと、自分はその内容についても理解したつもりになってしまい、疑いを持たなくなってしまいます。逆に、難しい用語や言い回しが並んでいると、中身がゼロの文章や発言でも、すごい内容だと思い込む人が少なくありません。高度な対話力を持ったAIの登場によって、上記のような勘違いをする人が増えるのはほぼ確実です。

考えようによってはとても恐ろしいことですが、一方で、しっかりと知的努力を積み重ねている人にとって、技術の進歩はむしろ大きなチャンスと捉えることもできます。AIといっても所詮は道具にすぎませんから、使い方次第で、いかようにもなると考えるべきでしょう。

 

前回記事「昨年比2倍!卵の価格上昇が意味すること。鳥インフルが収束しても「物価の優等生」には戻らない?」はこちら>>

 
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