「ChatGPT」のロゴとチャット画面。写真:ANP Photo/アフロ

あたかも人間のように会話ができるAI(人工知能)「ChatGPT」が話題となっています。会話があまりにも自然であることから、学校の宿題をChatGPTで済ませてしまったり、論文を自動作成するなど、弊害が発生するのではないかと懸念されています。

しかしながら、過去もそうだったように、新しいテクノロジーが登場しても、すぐに悪用を防ぐ手法が考案されますから、ズルが横行するような事態にはならないでしょう。

むしろ筆者は、今回のイノベーションについて別の意味で懸念を持っています。それは、画期的なAIの登場によって、AIを使いこなせる人と、そうでない人との間に、さらに大きな格差が生じることです。便利なツールが発明されると個人の能力差が縮まるように思えますが、現実はその逆なのです。

 

ChatGPTの最大の特徴は、言うまでもなく人間との対話能力です。

ホームスピーカーなどAI技術そのものは、すでに家庭にも普及していますが、難しい質問をすると「よく分かりません」など、紋切り型の回答しか返ってきませんでした。ところがChatGPTは、多少、難しい質問をしても、それらしい回答をしてくれるという点で、大きな進歩といってよいでしょう。

すぐれた対話能力を発揮するということになれば、これを悪用する人が出てくるのは、自然な流れと言ってよいかもしれません。例えば、宿題をChatGPTにやらせてしまえば、とりあえず、まともそうなレポートを自動作成してくれることでしょう。こうした利用方法が拡散すると、宿題や論文が骨抜きになってしまうと懸念する声が上がっているわけです。

筆者はAIの技術的な本質を考えると、それほど心配する必要はないと考えています。

ChatGPTは、自然な文章を返してくれるとはいえ、中身については従来型AIと同じですから、特段、頭がよくなったわけではありません。AIの能力というのは、どの情報を参照して、どのように論理を組み立てるのかによって決まってしまいますから、ごく簡単に言ってしまうと、ChatGPTは、会話が上手くなっただけのAIです。

したがって、いくらChatGPTを使ったとしても、設定したテーマや参照する統計などについて的確に指示できなければクオリティの高いレポートは作成できません。皆がChatGPTを使えば、条件は皆、同じですから、結局のところ提出するレポートには優劣が付くことになります。

こうした高度なAIの普及で憂慮すべきなのは、誰でもレベルの高いアウトプットができるようになり、他人との差が付きにくくなる(つまり努力した人が報われなくなる)ことではなく、むしろ努力した人とそうでない人の格差が、絶望的なまでに拡大することです。

 
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