「世界5位」の栄光と、そこから生まれた新たな葛藤
けれど、夢は遠くにあるうちは逃しても悔しさを味わうことはありません。手が届きそうで掴めないからこそ、自分の無力さに嫌気が差すし、才能の二文字に打ちのめされる。「世界5位」という栄光を手に入れてからの友野選手の競技生活はまた別のプレッシャーとの戦いでした。
その後、再び世界の舞台に返り咲こうと練習に励むも、なかなか本番で実力を出し切れず、全日本は毎年表彰台圏外。「世界5位」の実績だけがどんどん重くのしかかってきます。さらに、のちに北京五輪銀メダリストに輝く鍵山優真選手ら新世代も台頭し、熾烈な選考レースはますます激化。友野選手の周りには常に一等星のような才能がひしめいていました。
そして、そこに友野選手の葛藤があったように見えます。
同期の宇野選手はノービスの頃から「天才」と呼ばれてきたスケート界の至宝。幼い頃からリンクメイトだった山本選手もまた「平昌五輪の星」と有望視されていました。年下の鍵山選手、佐藤選手、三浦選手に至っては、まだジュニアのうちから「関東三羽烏」の愛称で特集を組まれるほどの逸材。もちろんどの選手にも上っ面の飾り文句では語れない苦労や葛藤はありますが、期待度という意味では別格。そんなエースたちに対し、あくまで自分は普通のスケーター。期待のホープだった経験なんて一度もない。特別な才能があって、ここまで来たわけじゃない。
誰に対しても分け隔てのない性格は友野選手の美点ではありますが、競技者としてはやや優しすぎるところもあり、本人も戦うのは好きではないと公言する、根っからのエンターテイナー。数々の代打出場によって道が開けていき、気づけば、少年の頃、住む世界が違うと思っていた天才たちと肩を並べて戦うようになったけど、そのポジションにいることを当の本人がどこか信じ切れていない。そんなあと一歩の心の弱さが、友野選手のスケート靴にからみついているように感じられました。
Comment