「自分にとっての正解を見つけること」は、思いのほかツライ


どうして私たちは、自分で考えずに、“既存の正解”を求めてしまうのかというと、1つ言えるのは、「“自分にとっての正解”を見つけること」は、思いのほかツライ作業。だから、その作業を避けてしまうから、というのは考えられます。

なぜ、その作業がツライのかというと、
(1)100%の正解がない中、“自分にとっての正解”を導き出すのは難しいことだから
(2)もし自分が導き出した答えが間違っていたら、自分で責任をとらなくてはいけなくなるから
ということが原因であると考えられます。

 

子供の頃から“自分の答え”を出す訓練をしてこなかった


(1)の、「どうして正解を導き出すことは、苦しむほど難しいことなのか」というと、私たちは、“そういう訓練をしてこなかった”のも、要因だと考えられます。
たとえば、学生のときは、正解を与えられ、覚えるだけの教育を受けている人は、少なくありません。
歴史の勉強であれば、仕方のないものですが、国語ですら、「この作者はどんな気持ちなのか?」という問題に関して、授業で先生の言われた通りの回答を暗記したことがある人は、少なくないのではないでしょうか?

それでは、そのテストは「読解力を判断するもの」ではなくなります。単に、暗記できているか、できていないのか(真面目に覚えたかどうか)だけの話になってきます。
そんな前もって答えを与えられるような勉強ばかりをしていると、暗記力は磨かれても、学力は身につかないでしょう。自分で答えを導き出していないからです。
 

「誘導されやすい人」が増えた


若い頃から暗記勉強ばかりしていて、さらに、「テストでいい点数を取る」ことが目的なら、「自分で答えを導き出す」ことを大切だとは思わなくなります。それは、“時間のかかってしまう、効率の悪い方法”だからです。
そのような経緯によって、潜在意識にも影響を受け、「世の中には、探せば正解はあるもの。それに従えばいいのだ」なんて思考が根付いてしまうこともあります。
それは思いのほか厄介なこと。なぜなら、「自分で判断しないで誘導される人になりやすくなる」からです。

個人的には、それによって、巷では「流行を作りやすくなっている」とも考えています。流行くらいであれば、可愛いものですが、「人生を揺るがす選択」ですら誘導されてしまうのだとしたら、考えものです。
 

「相手が悪い」「環境のせいだ」という人が増えた理由


社会に出ると、“全ての人に当てはまる正解”なんてものは、ほぼありません。
だから、悩んで、苦しんで、自分で答えを出していかなくてはいけないことが多いもの。そんなとき、やみくもに“正解らしきもの”に従ってしまうと、それが自分には合わなかったときは、失敗します。
でも、自分で出した答えでないときは、ただただ「(この答えを出した)相手が悪い」といって責任転嫁してしまうことも少なくありません。

もちろん(意図的に)誘導された場合は、誘導した相手は悪いのですが、「相手の言うことを鵜呑みにしてしまった自分にも落ち度があった」ことに気づかないと、また同じミスをしてしまうことが多いのです。それでは、次に進めなくなります。

さきほど、「“自分にとっての正解”を見つけること」は思いのほかツライ理由として、(2)「間違っていたら、自分が責任をとらなくてはいけなくなるから」ということを挙げました。
現代人は、必要以上に「自分が責任を取ること」を恐れている人が少なくありません。それはなぜなのでしょうか? 次のページで紹介します。