劣等感に苛まれた大人が、責任から逃げたがる


特に、学歴社会の中、ただただいい点数をとり、どの科目もある程度優秀なオールマイティな人間になることを求められてきた人ほど、常に他の人と比べ合ってしまうし、自分に「平均よりも劣っているところ」があると、「私(僕)は、ダメだぁ」と自己肯定感が低くなりがち。本来は誰にでも、得意、不得意なことがあるにも関わらず、です。

その経緯で、私たちは極端に「責任を取る」ということを恐れてしまうところもあるのです。自己肯定感が低かったり、自己に対して無価値観を抱いていたりすると、そんな誤った行為をした自分は「ダメな人間」だと、必要以上に責めてしまうからです。

自分で自分自身を責めてしまうと、ダイレクトに心に届く分、自己を非常に苦しめます。だから、それを恐れ、「失敗した出来事」以上に、「間違った選択(言動)をした自分自身」を受け止められない人(=「自分に非があったことを認めて反省すること」ができない人)も少なくありません。

 

本当の意味で「自分軸を持つ」ということ


最近は、「自分軸を持つことが大切」という言葉をよく見かけます。でも、そこにある意味をきちんと理解しないまま、単に「他人の目を気にしないで生きること」くらいの認識でいる人は少なくありません。

本当の意味で、「自分軸を持つ」というのは、「精神的に自立し、自分で“自分の人生の正解”を探し出し、失敗しても、自分で責任を取る」ことであり、なおかつ「自己を理解し、肯定し、一番の味方になってあげること」でもあります。
それくらいでなければ、自分軸を貫けないですしね。

逆に、「なぜ人は、他人軸になりやすいのか」というと、「人に嫌われたくない」「誰かに依存していたい」「自分のダメなところからは目を背けたい(=他人に好かれたら、自分を肯定できる。自分だけでは肯定できない)」「自分で責任を取りたくない」からだと言えます。
 

自分軸を持つことは、ただ「合わない相手を排除すること」ではない


単に「自分軸を持つとは、他人の目を気にしないで生きること」くらいの認識でいるときは、場合によっては、“逃げの姿勢”をとってしまうこともあります。「(潜在意識では分かっている)自分の悪いところを受け止められないから、そんな自分を悪く言う人のことは排除してしまえばいい」という考えからです。

もちろん深く関わる必要はないですが、もし、本当の意味で自己肯定できていたら、「相手と自分は、価値観や好みが違うんだな」と思うだけのこと。
自分軸を持つためには、「自分のいいところも悪いところも、きちんと受け止められていること(=本当の意味での自己肯定)」が、大前提なのです

自分軸を持っていると、むしろ“他人にとっての正解”に対して寛容になれます。それはなぜなのでしょうか。
次のページで紹介します。