産後2ヶ月間、毎日2時間家にやってきた義母


「結婚後しばらくは、夫婦関係は順調でした。というのも、結婚してすぐに夫が地方に単身赴任することになったんです。私も『終電に乗れたらラッキー』くらいの激務で夫に構う時間もなかったので、会うのは月に一回程度。それがちょうど良い距離感でした。

それに結婚にはメリットもあって、都内に1LDKのマンションを私名義で買いました。結婚してる方がローン審査が通りやすくて。そんな中、『ワンミステイク、ワンラッキー』とでも言うんでしょうか。長男を妊娠しました」

予想外だった妊娠は心から嬉しかったものの、珠美さんはこのとき仕事が気がかりだったと言います。当時珠美さんの働いていた会社には子持ちの女性は1人もおらず、子どもができれば辞めるのが暗黙の風潮だったからです。

それでも珠美さんは復職を前提に産休と育休に入り、長男を出産されました。

「この育休期間が、今思い出しても本当に辛かった。夫は単身赴任中で、私は慣れないワンオペ育児に思った以上に振り回されることになりました。実母は持病があり頼れず、今みたいにシッターさんも託児所もほとんどない時代で。

でも何よりも辛かったのは、育児ではなく義母が『嫁を手伝う』と言う名目で、毎日うちへ通い始めたことでした」 

「男の子を2人産んでおいて、よかった」火葬場での義母のセリフに戦慄...嫁を襲う姑の奇行とは _img0
 

珠美さんの産後、義母は平日5日間、地元の茨城からバスで2時間かけて東京にやってきたそう。11時半に上野駅に到着し、15時のバスで帰宅。上野駅まで車での送迎は珠美さんの役目で、義母は2時間ほど家に滞在し、ランチを食べて帰っていく日々。

「一応、義母は私のために来てくれていたそうですが、『手伝う』と言っても、彼女は私が彼女のためのランチを作っている間、息子と遊んでいただけで。例えば掃除や洗濯をしてくれるわけでもなく、ただ座っているだけで何もしないんです。

 

私からすれば、乳児を抱えながらの送迎やおもてなしの負担が増えるだけでむしろ大変で、何度かやんわりと『来なくて大丈夫です』と伝えたものの、2ヶ月間きっちり毎日やってきました。何度も言いますが、本当に大変でした」

そして、そんな義母との日々に疲れ切っていた珠美さんに、驚くべき電話が入ったのです。

「電話は元夫の妹からで、『母があなたの所に通うのが負担になって疲れている。本来なら自分の母親にやらせるべき手伝いを、どうしてうちの母にやらせるのか?』と......。義母が何を言ったかわかりませんが、知らぬ間に先方では私が悪者になっていて、不信感でいっぱいになりました。義母がうちに通うのを辞めてくれたのはありがたかったですが、嫁姑関係はこの頃から悪くなっていました」

その後、ワンオペの育休をなんとか乗り越え仕事に戻った珠美さんでしたが、新たな問題が発生してしまいます。

「保育園も探して、さあ働こう! と気合を入れていたのに、建築士としての専門職から事務職に回されたんです。お給料もガクッと下がります。今はさすがにこんなことはないと思いますが、『子どもがいて負担がないように』という、あくまで善意と見せかけて仕事を奪われることが当時はあったんです。ショックでした」

やりたい仕事ができない会社にしがみついても仕方ないと思った珠美さんは、会社を辞めて独立。そのタイミングで元夫の崇さんの単身赴任も終わり家族揃って暮らすことになりました。

「幸い、独立後の仕事は順調でした。会社勤務より時間に余裕もできて、ワンオペでもなくなり育児と仕事の両立もできました。そして、この時期に息子と2歳差で長女を妊娠しました。私は一人っ子だったので、兄弟を作ってあげたい気持ちが強くて。育児は本当に大変でしたが、どうせ大変なら早めに一気に終わらせたいとも思っていました」

仕事と育児の両立で多忙を極めながらも、この頃の家族関係は順調だったという珠美さん。

しかしながら、予想外のトラブルと不幸が夫婦を襲ったのです。