妻の秘密
ーーそれにしても……美雪さんてなんだかんだ、真面目よね。
自宅に戻って、マンションのコンシェルジュから受け取ったクール便のミールキットを開封しながら、昼間の会話を反芻する。
野菜はカット済み、あとは炒めたり焼いたりするだけでOKなこのキットは新婚当初からの私のお気に入り。夫は外食に興味がなく、郊外の研究所から直帰するので、毎日夕飯の支度をしなくてはならない妻の知恵だった。
――たまには美雪さんのうちみたいに外で羽を伸ばしてくればいいのに。つまらない男。
心の中で毒づく。もちろん夫の前ではおくびにもださないけれど。
彼は研究者で、よくわからないけれど若い頃の研究があたって、特許だかライセンスだかを持っている。大学の准教授として研究をする傍ら、そのお金が入ってくるし、そもそも実家が大地主なので資産管理の恩恵にも預かっているから、無頓着にしていてもお金に困ることはない。
「誰かいいひといない?」と27歳のときに周囲に触れ回った結果、IT企業を経営している友人が「掘り出しものだぞ~」なんて言いながら紹介してくれたのが夫。お金持ちで無難、それがほとんど唯一の結婚した理由だったけれど、まあそれにしても……面白味には欠ける結婚生活だ。
だから、若くて美しい妻は少しくらい暇つぶしをしても許されるというもの。
私はスマホのロックを解除し、メッセージに目を走らせた。「婚外彼氏」は円満な結婚生活の必要悪。今はアプリもあるし、出会いはいくらでも落ちている。
――ピンポーン
はっとして時計を見ると、まだ18時半。まさかもう帰ってきたのか。飲み会のひとつも行けばいいのに……。私はいまいましいような気持ちでインターホンに応えると、ロックを解除した。
夫はそんな調子で自分に遊びたいという欲求がないから、妻がよそ見していてもまったく気が付かない。自由にできるのも、夫がぼんやりしているおかげ。つまらない夫だけど、そこは感謝しなくちゃね。
「おかえりー! 連絡くれたら良かったのに。まだお料理の途中なの。ごめんね、すぐに作るからね」
私は素直に反省する素振りを見せ、急いでお風呂のスイッチを入れた。
「いいよ~、僕こそ連絡しなくてごめんね。実はさ、スマホ無くしちゃって、午後はその手続きしてたんだ。参ったよ。でももう大丈夫。保険会社からの連絡待ちだからね」
参った参った、と繰り返しながら、のっそりとリビングに夫が入ってきた。45歳を超えて、ますます温厚になってきた。洗っていない手でダイニングやソファーに座られないように、私はうんうんと頷きながら、彼の体をバスルームに押しやった。
「えー! それは大変だったねえ。『探す』っていう設定にしてなかったの?」
「何かの拍子で解除されててさ、酷い目にあったよ。でももう大丈夫! さっき寄ったショップで、GPSタグを買ってきたの。
これ、僕の持ち物にはぜーんぶつけることにする。今まで適当にしすぎたよ。これからは管理、管理」
夫はそう言いながら、自分の鞄にひょいっと平たい飴玉のようなタグを放り込んだ。確かに彼は頭が凄くいいのに、妙に抜けているところがあり、忘れ物や失くし物が私よりも多い。
「そうねえ、それがあれば失くしてもデータが全部スマホに来るもんね。安心じゃない? さあさあ、お風呂お風呂! 出るまでに頑張ってゴハンつくるから、ゆっくーり入っててね」
私はとにかく彼をバスルームに押し込めると、やれやれとため息をついた。
春の宵、怖いシーンを覗いてみましょう…。
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