幸せな介護

20代から認知症の母を“背負ってきた”娘が断言する「介護してきて、本当によかった」_img3
 

骨折後、車いす生活になった母ですが、やはり機能が低下するスピードは上がっていきました。

 

それまでは名前くらいは呼んでくれていたのですが、しゃべることも減っていき、骨粗しょう症による腰椎圧迫骨折も数か月ごとにありました。くしゃみをするだけでも骨が折れてしまうんです。

体が弱ると認知機能もどんどん落ちていきます。箸を持てなくなり、私が食事を食べさせるようになっても、私の手を食べ物だと思って口に入れてしまったり。

やがて母は要介護5になりましたが、週5回は近所のデイサービスを利用していました。デイサービス代とオムツ代などで月に7、8万円くらいかかっていたと思いますが、年金も月に8万円あるので、私個人の持ち出しはほぼありませんでした。もちろん、家賃や食費はそれなりにかかりましたが……。

私は母の認知機能が落ちないように、いろいろな場所に連れて行きました。ディズニーランド、梨狩り、いちご狩り……。本当に、あちこちに行きました。

最初は車いすの母を連れての電車移動が怖くて避けていました。駅員さんにスロープを頼むと準備に少し時間がかかるので、乗り換え時間を考慮して動くのも大変なのです。それでも母と外出がしたくて、ガイドヘルパーの資格をとったのもこの頃です。
 

まず自分の人生がある


仕事がある日は、昼間は母をデイサービスに預け、仕事が終わったら迎えに行く。仕事がない日の日中は、やはり母を預け、友達と遊んだり、彼氏と出かけたりしました。

そうそう、付き合っている男性もいたんです。介護が忙しくて、会う頻度が週1回くらいだったのでなかなか結婚に踏み切る感じにならず、数年でお別れしてしまったのですが、私が介護に夢中になっていても文句ひとつ言わない人でした。

ここまでの内容でおわかりだと思いますが、私は決して介護にすべてをささげる人生を送ってきたのではありません。

まず自分の人生があり、その次に介護がある。その順番は固く守ってきました。飲み会にも行くし、旅行もする。仕事ももちろん最優先で、講演の依頼があれば、たとえ母が体調を崩していても講演先まで飛んでいきました。