隠れた葛藤


――ふう、疲れた……金曜夜は電車混むなあ。

久美と別れたあと、急いで帰宅したけれど、時計はすでに23時。1軒目で解散したが、実家は国分寺だから、やはり遅くなってしまう。

両親はそろって他界してしまった。本当はこの家を売って小さなマンションでも買ったほうがいいんだろうけれど、全てが面倒でそのまま住み続けていた。

濡れた髪を乾かしながら、ぼんやりと今日の会話を反芻する。

私たちがいた合唱部はコンクール常勝の強豪で、私や久美の頃も全国大会で入賞していた。小学校からエスカレーター式で大学まで出られるようなのんびりした学校だったから、好きなことを続ける子も多く、同級生の合唱部員20人から音大の声楽科に進んだ子が6人。久美もその1人だった。

名門女子校仲間から突然届いた舞台チケット。20年ぶりの再会でよみがえる「封印した過去」とは?_img1
 

でも、声楽科に進んだからといって、ソロでリサイタルを開くような歌手になった子は一人もいない。せいぜいが、久美のように音楽関連企業で勤めたり、音楽の先生や講師をしていたり。

その点、私はとても賢い判断をしたと思う。高校生の頃、顧問の先生には藝大とはいかなくても、頑張れば現役で音大に入れると言われていた。

 

しかし私はそこで冷静に考えた。音大に行ってその先はどうなるのかを。

成績も良かったので、結局名のある大学に推薦で進学。もちろん歌とは縁も所縁もないけれど、そのおかげで、ふらふらと親の海外駐在についていっても帰国後に良い就職先を見つけることができたと思っている。

――私、ずっと疎遠だったのに……。どうして久美はわざわざ今日呼び出してまで合唱団の話を?

落ち着いて考えると、どうにも腑に落ちない。何か意図があるような気がする。久美の様子は、思いつきで言っているにしては真剣すぎた。

とにかく平日に合唱なんかのために練習会場まで行くのはごめんだ。毎日毎日バカみたいに歌っていたあの頃とは違う。

……何より、私は、もう歌はやめた。

私は貰ったチラシを敢えて破いてから、ゴミ箱に放り込んだ。

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夏の夜、怖いシーンを覗いてみましょう…。
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