労働組合が異例のストライキを実施する中、そごう・西武の投資ファンドへの売却が決まりました。ファンド側は大手量販店のヨドバシカメラと提携し、ヨドバシの出店に合わせてフロア構成を大きく変える方針を示しています。

写真:西村尚己/アフロ

西武百貨店はかつてセゾングループという集団を形成し、モノだけでなく文化を売る企業として、バブル期には極めて大きな存在感を示していました。ネットでは「いよいよセゾングループの文化がなくなってしまうのか」と中高年を中心に惜しむ声が大きく聞かれます。

80年代に一世を風靡し、多くの熱烈な支持者を生み出した、セゾングループのポストモダンの文化とは、一体どのようなものなのでしょうか。

 

百貨店というのは、もともと文化を売る企業として発展してきた経緯があり、展覧会や講演など文化的な催し物を開催することで集客につなげる商習慣がありました。セゾングループはこうした百貨店の戦略をさらに拡大し、社会現象にまで発展させていくという点で非常に斬新でした。

今となっては百貨店の1階など、目立つ場所に海外の有名ブランドがテナントを構えているのは当たり前のことですが、こうした海外ブランドをいち早く積極的に誘致したのは西武百貨店と言われています。同店はそれにとどまらず、日本のデザイナーズブランドにも着目し、ケンゾー、イッセイミヤケ、コム・デ・ギャルソン、タケオキクチなどを積極的に売り出し、多くの若者を魅了しました。

同社はビル全体がアパレルのテナントで構成される、いわゆるファッションビルの業態を開発し、各地に「PARCO(パルコ)」を出店。パルコでは単に商品を売るだけでなく、PARCO劇場、QUATTRO、ブックセンターなど、劇場やライブハウス、書店などを同時展開することで、文化全体を売っていく手法が模索されました。

こうした文化戦略は本格的な商品開発にもつながり、洗練された生活雑貨を売る「LOFT」や、スーパー「西友」のプライベートブランドを発展させた「無印良品」など、次々と新しい業態や製品を開発していくことになります。

80年代の若者にとって、セゾングループのお店に行って買い物をすること自体がステータスであり、同社は日本社会に大きな影響を与えました。一連の取り組みは、やがてポストモダンの象徴として、論壇でも取り上げられるなど、流行の領域を超えた動きを見せ始めます。

単なる小売店の戦略が強く社会性を帯びるきっかけとなったのは、糸井重里氏など同社を拠点に活動した文化人の影響が大きいと思われます。糸井氏は「不思議、大好き」「おいしい生活」など、大流行した西武百貨店のキャッチコピーを数多く手がけ、コピーライターという職業を日本に定着させました。

コピーライターを養成する学校には多くの若者が押し寄せ、洗練された広告を展開する企業には入社希望者が殺到するなど、社会全体が熱に浮かされたような雰囲気でした。当時、若者だった人は、今は50代や60代になっていると思いますが、コピーライターなどクリエイティブな仕事に就きたいと考えていた人は多かったのではないかと思います。

 
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