数ある企業の中で、特にセゾングループが文化戦略に傾倒した背景には、グループ創設者である堤清二氏の影響が大きかったといえるでしょう。
堤氏は西武鉄道グループの創業者である堤康次郎の次男として生まれ、当初は西武鉄道グループ全体の経営を引き継ぐと言われていました。父の康次郎氏は、絵に描いたような豪腕実業家で、あまりにもビジネスが荒っぽいため「ピストル堤」というあだ名まで付いていたくらいです(ちなみに堤氏のライバルで、東急電鉄の創業者である五島慶太氏は、同じくビジネスが荒っぽいという意味で「強盗慶太」と呼ばれていました)。
清二氏は父とは正反対の性格で、辻井喬というペンネームで作家や詩人としても活躍するなど、文化を好むタイプでした。また、東大在学中には学生運動に身を投じるなど、弱肉強食の価値観を体現する康次郎氏の経営手法について批判的だったといわれます。こうした事情もあってか、西武鉄道グループ本体は、清二氏の異母兄弟で三男の堤義明氏が継ぐことになり、清二氏は西武百貨店を経営するという形でグループが分離することになります。
義明氏は、康次郎氏の経営手法を引き継ぎ、現在の安倍派である自民党の派閥「清和会」を支援するなど政界のフィクサーとして君臨する一方、清二氏は文化企業という概念を打ち出し、セゾングループを発展させていくことになります。
清二氏は、資本家がマス向けに大量生産を行い、画一的な商品を展開する従来型ビジネスから脱却し、消費者主導で商品やサービスを展開する、新しい社会を模索したと言われます。
実際、バブル期には異様なまでに国内消費が活発になり、ニッチで洗練されたモノやサービスに対して、消費者は多くのお金を支出するようになりました。こうした動きについて知識人も刺激を受け、セゾングループはポストモダンの象徴として高く評価されることになったわけです。
80年代後半には、同社が理想としていた消費者主導の経済が実現するかに見えたのですが、残念なことにそれはバブルによる過剰消費だったというのが現実のようです。バブル崩壊をきっかけにセゾングループの経営は一気に傾き、グループは解体。各社はバラバラとなってしまいました。
その後、30年が経過しましたが、今の日本はポストモダンな社会を実現するどころか、ブラック企業の台頭やLGBTに対する誹謗中傷、女性の登用を阻む企業文化など、むしろ前近代的な社会に逆戻りしているかのようです。こうした日本の息苦しい現状も、セゾングループのファンにとっては、当時を強く懐かしむ作用をもたらしているのかもしれません。
前回記事「大炎上【ブライダル補助金】問題の本質とは?日本の政治は「予算を決めた後に使い道を考える」という悲しい現実」はこちら>>
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