時代の潮目を迎えた今、自分ごととして考えたい社会現象について小島慶子さんが取り上げます。
BarbieのBは仏教のB。これが私の感想なので、バカなの? と思った人は、すでに数多リリースされている素晴らしい解説記事をご覧ください。これから映画を見るから結末は教えないで! という人は、プロモーション記事をお読みください。仏教と映画と社会学の専門家は、ああ物知らずの素人がなんか言ってら、とお読み流しください。
じゃあなんでそんなものを書くのかって? これは全世界に数百万人はいるであろうケイコの一人、よりによってこの私であるケイコが、51年の人生の体験を通じて得た感想だからです。それはほら、どんなに下らなくても私にしか書けないものでしょ。人形ではない生身の体を生きるって、そういうことよね?
まずもってバービーは日本人には馴染みが薄いものです。幼少期にオーストラリアとシンガポールと香港で暮らした私ですら、店頭で見てもあまり心惹かれませんでした。なんか、自分と違ったから。小学生の頃には後発商品のリカちゃんに出会ったので、おお、ここにちょっと自分ぽいけど自分より可愛いやつがいる! と親近感を覚えました。いや正直いうと私は人形が好きじゃなくて、それより「リカちゃんスーパー」のミニチュア冷凍食品や、スーパーの棚からベルトコンベアに商品が落下してカゴに投入される近未来的な仕掛けに夢中になったのでした。
でも、まあ人形遊びをした経験はあります。あれはなりたい自分を投影するというより、人間めいたものを思い通りにするという支配欲を満たす遊びだったんじゃないでしょうか。お人形遊びは「女の子の夢を形にするもの」とされていますね。「女の子の夢」は、可愛いお嫁さんになるとか、優しいお母さんになるとか、素敵な看護師さんになるとか。いや、女の子にも人間を意のままに支配したいという強い衝動があるから、人形が売れるんです。それが、女児の夢ですよ。
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