競争に勝っても「思っていたよりも幸せじゃない」


——その「正解」」を一度は手に入れたんですね。

古溪 いい会社に入るところまで頑張って、自分が認められた感じがしました。会社に入ったら、同期と横一線で競争して、誰が優秀で、誰がそうでないか、みたいなところから始まって。つまり、常に自分の「存在意義」を、自分よりも上のもの、下のものを規定することによって、確認していました。逆を言えばそれでないと、自分の居場所が確認できなかった。

 

古溪 今思うと、それが「満たされなさ」の根幹でした。社会人3年目ぐらいのとき、自分で言うのもあれですけど、営業が得意で、社内の評価もいいし、彼女もいた。いわゆる幸せな生活を送っていました。一つの「正解」を手にしたんですが、そのときの率直な感想が、「思っていたよりも幸せじゃない」だったんです。それで、「この満たされなさは何だろう」と思って、いろんな本を読み漁りました。そこでヒットしたのが、京セラ創業者の稲盛和夫さんの生き方でした。

 

——稲盛和夫さんのどんな考え方が刺さったんでしょう?

古溪 僕は営業マンだったので、「数字を上げることが自分の価値」だと思っていて、すごく数字に執着していたんです。だからこれ以上ないくらい、自分なりにベストパフォーマンスを出していた。でも稲盛さんの生き方を読んだときに、商売っていうのは、世の中のため、人のためにあって、その結果がお金で表れてくるものだと。金を稼ぐためにやるんじゃなくて、人のため、世のためにやるのが本来の商いである。それを読んで、「うわーこの考え方は全く俺になかった」と思いました。稲盛さんは、一体どこでこの考え方を学んだのだろう? と思ったら、なんと仏教(※)なんですよ。灯台下暗しだなと思って。僕の実家、そういえはお寺だったなと。
※稲盛和夫氏は65歳のときに出家している。

「生きていること」を自覚できなかった過去


——お坊さんになって、今は満たされたと思いますか?

古溪 毎日は幸せです。そういう点では、満たされているなとは思います。社会人のときに、ただ漠然と「何かいいことないかな」と思っていたときと比べると、心中穏やか。幸せっていうと、ラッキーなことが突然起きる、みたいなイメージをされるんですけど、その感覚ではなくて、朝起きて、ご飯を食べて、夜眠る。そこに幸福を見出しているんです。そういう点では、「生きていること」、それだけで幸せなんです。社会人のときはその感覚に気づけていなかった。「生きていること」を自覚できなかった。今は「生きている」ということを、体全体で感じ取るように意識しています。

一方で、もっと世の中のために自分がやれることをしたい。「あー生きるのしんどいな」とか、そこまでじゃなくても「微妙にしんどいな」って思っている人も結構たくさんいて。そういう人たちに、もっと「こういうふうに生きていけばいいんだ」というところを示せるようになりたい。それがまだ全然できていないと思うので、そういう点では、ハングリーな部分もあります。全力で前に進みながら、穏やかさも持ちつつ、活動していけたらなと思っています。