「お釈迦様って何てネガティブな人なんだろう」


——古溪さんの死生観について伺いたいです。生きること、死ぬことって、どういうことだと思いますか?

古溪 難しい質問ですね。僕が思うのは、生まれたから、死ぬんです。生・老・病・死と言って、人間は生まれたら死ぬわけですね。幸か不幸かわからないけれど、いつ死ぬのかっていうのは僕たちは知らされてない。つまり、明日死ぬかもしれないわけです。

 

古溪 僕の死生観は何ですかって言われたら、「明日死ぬと思って生きる」ということです。本のタイトルにも「諸行無常」とありますけど、世の中は常に移ろい、変わっていく。目の前にあるものなんていうのは、いつなくなるかわかりません。最初それを聞いたときに、お釈迦様って何てネガティブな人なんだろう、と思って。こんなに頑張っていろんなことをやっているのに、そういうのも「全部無駄ですよ」って言われてる気がして。

でも、お釈迦様って、ちょっとひねくれてて、ちょっとネガティブなことを言って気づかせる、みたいなところがあると思っているんです。

 

生きとし生けるものは“なくなるからこそ、美しい”


——お釈迦様がネガティブ(笑)。面白いですね、初めて聞きました。

古溪 実は諸行無常にはもう一歩踏み込んだ意味があると思っています。コップの水は、いつなくなるかわからないけど、今ここにあるわけですよね。いつなくなるかわからないものが、今自分の眼前に現れている。それはとっても尊いことだから、大切にしなさい、ということなんです。

日本人の美的な感覚として、生け花を美しいと思いますよね。生花はいつか枯れるからなんです。今咲き誇っている、一番ベストな状態で生けられている姿は美しい。でもずっと綺麗だったら、多分魅力的に思わないんです。ゆくゆくは枯れちゃうんだなっていうことがわかっているから、目の前で咲き誇っている花に対して、感動を覚えるわけですよね。だから、“なくなるからこそ、美しい”わけです。

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お坊さん姿と普段着姿。ミックスで取材に臨むのが古溪さんのスタイル!
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