死を身近に意識することで、生を謳歌できる

 

古溪 人間も同じ。死ぬとわかっているからこそ、今生きていることがありがたい。でも人間って傲慢だから、ずっと自分が生きているかのような感覚になっちゃうわけです。「人生100年時代」と言われ始めて、30歳でも「あと70年か」みたいなことを考えさせられる。

——寿命が延びて、死を身近に感じづらくなっているんですね。

古溪 「死」っていう感覚が薄まれば薄まるほど、自分が生きているという感覚が薄まってしまって、「自分はなんで生きているんだろう」と思ってしまう。それでは本末転倒なんです。死が常に隣り合わせにあるからこそ、生きていることを実感できる。だからこそ、今こうやって皆さんと出会うことが、大切なご縁だなって思う。だから今を一生懸命に生きるために、「死を常に身近に意識する」っていうのは大事だと思います。

 

この世は「一切皆苦」。苦しいのがデフォルト


——仏教に「一切皆苦(いっさいかいく)」という言葉がありますよね。生きることは苦しいことなんだ、と。だとしたら、なんで生きないといけないんだろうなと思ってしまうんです。生きることの意味って何なんでしょう。

古溪 「一切皆苦」は、生きることはデフォルトでつらい、思い通りにはならないということ。じゃあ何で生きなきゃいけないのか。生きる意味とか、生きる理由みたいなものを、みんな探すんですけど、生きる理由を探す必要は、僕はないと思っています。ないものを探そうとしているから、しんどくなると思うんです。わかりやすく言えば、「生まれちゃったから生きていく」しかなくて。どうせ生きていくしかないんだったら、不幸せに生きるより、ハッピーな方向に進んだ方がお得だよね、っていうのが僕の感覚なんです。

もし今あなたが苦しいと感じているのであれば、それはいたって健全です。だって、生きることっていうのは苦しいことだから。あなたが今もし苦しいって感じているのであれば、それは生きているということなんです。生きているから、苦しいんですよ。でも同時に、生きているっていうことが、もうありがたいことなんです。そうすると、その苦しさをちょっと愛せるようになりませんか。