ファッションエディターの昼田祥子です。今日も引き続き、私の憧れの人、稲垣えみ子さんのインタビューをお届けします。

前回記事
「服は減ったのに悩みがなくならないのはなぜ?数を減らすこと=ゴールじゃない【稲垣えみ子さん】」>>

 

私の場合、服を減らし、身の回りのものも減ったので暮らしはシンプルになりましたが、家事は苦手。稲垣さんが実践されている「ラク家事」は、丸ごと真似したいくらい。(ぜひ、家事が苦手な人は稲垣さんの新刊を読んでほしい!)

 

昼田「私は料理が大の苦手で、時間をかけたわりに、あれ? これだけしか作れてなかった、とか、レシピ通りにしたいからいらない食材を増やしてしまったり、もう料理ってストレスしかなかったんです。それが本にある『調理法別に3種類を作る』という考え方を取り入れてみたら、一気にラクになったんです。あれすごいです!」

稲垣「あ、あれ密かに好評です。よく言われます。自分で言うのもなんですけど、完璧ですよね」

昼田「稲垣メソッド、すごいです! あの考え方ができるようになって、献立を考えるのがラクになりましたし、料理を効率よくできているのがうれしくて。それまでの私は手の込んだものを3つ作ろうとしていたりして、自分で料理を複雑にしていたなとも思います」

稲垣「嬉しいです。これオリジナルメソッドなんですよ。肝心なのは料理より献立。献立ってバランスだから、生、ちょっと炒めたもの、煮込んだものがあったら何も考えなくてもバランス的にいいんですよね。我ながら完璧なメソッドです」

 


これが落ち着くよねっていうものがない。
それってすごく自分で不幸だったなと思う


昼田「で、やっていくうちに、今度は私って意外とできるんじゃないかと思いだして、参鶏湯とかつい凝ったものを作ろうとしてしまう。どんどん広げようとする一方で、可能性を広げると自分を苦しめることになるというのも、わかるんです。どう折り合いをつけたらいいのかなって」

稲垣「もちろん広げたい人は広げたらいいんです。でも今ってSNSとかでそういう凝った料理を作った人がたくさんアップしたりすると、自分もやらなきゃとか、参鶏湯作れないと、みたいになりがちですよね。さらに、料理を作る奥さんに、夫や子供がそういうのを作れないのが手抜きだとか言ったり、自分だけじゃなくいろんな人が、そっちの方向に圧をかける。私も以前はどっちかというと参鶏湯作っちゃう方向の人だったんですけど、今思うのは、外で食べるご飯の美味しさと、家で食べるご飯のおいしさは違うということ。いい悪いじゃなくて、別の価値がある。なのに今は、外で食べるものをみんな家で作ろうとしているんですよ」

昼田「たしかに、うちも外と家ごはんが一緒になっちゃってます」

稲垣「こういう生活を始めて自分で気づいたんですけど、家のご飯って毎日おんなじっていうことに価値があるんです。外でいろいろ食べたときに、早くあの家のご飯と味噌汁が食べたいってなる。いつものものを食べる幸せ。ほっとする、重心がある、ここに帰ってきたいっていうのが家庭料理だから、家庭料理がとっ散らかっていたら帰っていく場所がない。家でも外とおんなじバリエーションに富んだものを食べていたら、これが落ち着くよねっていうものがない。それってすごく不幸だったなということに、今こういう生活をしてみて初めて気がついたんですよね」

 


毎日一緒で、美味しすぎない、
それこそが家庭料理の価値


稲垣「家のご飯は、いつも一緒で代わり映えがしないっていうことに最大の価値があって。外国に行って帰ってきたら、早く味噌汁とご飯食べたいってなるじゃないですか。結局そういうものがみんな好きなんですよ。なのに、なんで日本に帰ってくると世界の料理を作っているの? みたいな」

昼田「わかります。海外に行っても結局、持っていったご飯と味噌汁を食べてました」

稲垣「もちろん、家でシェフばりに作りたい人は作っていいけれど、それが唯一の正解では全くない。正解はこっちよねっていう考え方もある。だから今日も味噌汁とご飯?みたいなことをいう輩がいたら、私なら『正座! そこに座りなさいっ! 』って」

昼田 「(笑)」

稲垣「最近はさらにおかずを作らなくなって、もう漬物とのりで十分。それ以上は、私にとってはちょっと過剰ですね。余っちゃう」

昼田「すごいなぁ。でも、将来的には私もそうなりたいです」

稲垣「一番厄介なのは料理を作らない家族なんですよ。あの人たちは、家で外食を食べている気になってますよね。たとえば料理を作らない家族が『今日も同じメニューか』って言ったら、『自分で好きなものを作っていいよ』でいいじゃないですかね。作ってはじめて自分が何を食べたいかがわかるところがあります。作ると作らないかでは全然違うんですよね」

 
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