「育児はママ!」という神話こそ近代以降、社会の本質が変わらない理由
そもそも、母親だけに育児をさせるのは間違いであることも指摘されています。多くの哺乳類は母親だけが育児をしますが、一部のサルやヒトは仲間が協力して育児をする「共同養育」という形で進化してきたのだそうです。なぜって、育児にとても手がかかるから。生まれ落ちてすぐにワナワナと立ち上がる仔馬と違って、ヒトの赤ん坊は完全に寝たきりです。ヒトにはカンガルーのように子どもを持ち歩ける便利なポケットもありません。赤ん坊にかかりきりでは、母親は移動もままならず、餌をとることすらできない。父親や仲間が育児を手分けして担わないと、母子共に生き延びられないのです。だから群全体で子育てをする共同養育という生き残り戦略を進化させてきたのですね。
ところが、なんと数十万年を経た現在、産後間もない日本の母親は家にこもりきりで乳首をしまう暇も無く、ろくに食事もとれず、歯も磨けないような生活を送っているじゃありませんか。産後うつ状態を経験した人も少なくないでしょう。私も最初の産休中には著しい気分の落ち込みと孤独に苛まれ、2度目の育休中には不安障害を発症しました。その上、データでは日本の女性は仕事に復帰してからも家事や育児などの無償労働に費やす時間が男性の5倍以上にもなるのです。国際比較でも日本の女性の負担の大きさは際立っています。
ヒトの社会では、近代以降「育児は母親がするべきもの」という神話が強く信じられるようになりました。文化的背景や、工業化した社会でより多くの労働者を長時間働かせたい資本家にとって都合が良いなどの理由があったのでしょうが、「育児はママ!」はいまだに根強いですね。日本の少子化対策は長らく「産みたがらないわがままな女たちにどうやって産ませるか」という視点での施策でしたが、最近ようやく、女性が産ま(産め)ないのは、父親が育児をしないからなのかな? と気づいたようです(遅いよ)。男性産休・育休の取得促進策などが次々と打ち出されたのは一歩前進です。
しかし!! 男性が産休や育休をとっても、単に文字通り家で休んでいるだけというケースも珍しくないというではないですか。夫の世話でむしろ妻のケアワークの総量が増えてしまうこともあると(地獄)。「育児はあくまでもママの仕事で、男は手伝い」という認識では、男性がケアワークを自分ごとにする習慣は身につきません。男性社員の育休取得率が上がれば企業は得意顔でしょうが、実態が「単に休んでいる父親」である限り、母性神話に基づいた女性の過重負担は解消されず、社会の本質は何も変わりません。先述したように、親性脳ネットワークの働きには男女差はないのです。男性の中でも、育児をしない人の親性脳ネットワークをいかにして活性化するかが重要なのですね。
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