「失ったもの」に目を向けないで、先に進む


理不尽な状況でも、今すぐに解決できないこともあります。失ったものが大切なものであればあるほど、パッと手放す気持ちにはなれないものですが、ひとまずそのことに関しては「心を保留の状態」にして、先に進んだほうがいいでしょう。
執着心があると、物事がスムーズに動かなくなるのはよくあること。さらに、そのことに囚われれば囚われるほど、自分自身をひどく苦しめます。

一旦、失ったもののことは置いといて、「今できることは何か」と考えて動くことで、失ったもの以上に大きなものを得られる場合もあります。そのときは、失ったものへの執着心が自然と消えることもあるでしょう。

 

「失う」経験から得られるもの


どんなに不幸なことが起こったのだとしても、意外とそれと付随して「いいこと」も起こっていることは多いものです。
大切なものが手元にあったときは、それに対する「執着心」や「失う恐怖心」があることで、実は身動きが取れにくくなっていたということもあります。その大切なものを失うことで身軽さが出てきて、もっと素敵なものを手に入れることも意外とあるのです。

また、「失う」というショックな経験をすることで、自分自身が大きく成長することもあり得ます。たとえば、大地震の経験から、「自分の命がいつ終わるかは分からない」と思って、好きなことにチャレンジするようにして成功した人もいますしね。

物質だけを見て、「得た」「失った」ということしか見えていないと、何かを失ったときは「損した」という発想になりますが、「人生」というスケールで見たときは、一見、不幸な状況のときにこそ、人は成長したり、生きる上で大切なものを学べたりすることもあります。
そして、大事なことを学べた人は、今まで以上に幸せになることも多いのです。

幸せになるかどうかは「自分の在り方」次第


ただただ悲しい出来事をきっかけに、心が腐ってしまう場合は、その“成長のチャンス”を自ら無駄にしているので、ますます状況が悪化してしまうことは多いです。
「泣きっ面に蜂」「踏んだり蹴ったり」「弱り目に祟り目」といったことわざがありますが、それも結局、先述したように、「自分の在り方」によって、言動が変わるので、負の感情に浸っていると、残念な言葉を言ったり、不愉快にさせる行動したりしてしまい、さらに不幸な状況にしやすいのです。

逆に、「笑って損した人なし」「笑う門には福来る」といったことわざがあるように、何が起ころうと、前向きさを忘れないで「人に愛される在り方」でいることが、幸せになるためにも大事なのです。

よく「体が資本」だと言われますが、年を重ねれば重ねるほど、「自分自身が資本」であることを実感するもの。「今、手元に物質的に豊かなものがある」こと以上に、「新たに生み出す力があるか」のほうが、長い目で見て大事なことなのです。
次のページで紹介します。