「天井」も「崖」も本当は透明ではないはず


以前、ある大手企業の中堅女性がこう打ち明けてくれました。「管理職にならないかと声をかけられても、あんなおじさんだらけの世界に入るなんて嫌。いじめられるし仲間はずれにされるのは目に言えている。男性は昔から馴染みの内輪の世界があるけど、女性はそこに入れてもらえない。会社は結局、男の内輪の世界で回っている。数合わせの女性管理職なんて蚊帳の外。全然憧れない」

一方、ある有名企業で役員に抜擢された女性は「ゴルフと会食と激務が基本」と当然のように語りました。これじゃ確かに、憧れないよね……。

ゴルフと会食で内輪の世界のお付き合いをすることが役員として当然の務めだと考えている人は、まさにガラスの天井を作っている人です。それが女性のキャリアの妨げになるという自覚がない、つまりは自ら作っている天井が見えていないのです。

他にも、この社会には透明な仕掛けがたくさんあります。小さい頃から女の子は控えめな方が得をすると信じていれば、それゆえに挑戦する機会を逃していることには気付きません。ガラスの足枷をつけているのです。進学の際に、理系が得意でも女子は文系と言われることも、就職は地元にしなさいと言われることもあります。ガラスの羽切りで知らぬ間に翼を折られ、ガラスの鳥籠に閉じ込められても「女の子はそういうものだ」と諦めてしまう人もいるでしょう。

私は中高と電車通学で、文字通り毎日のように痴漢被害に遭っていました。でも当時は「畑に芋虫がいるように、電車には痴漢がいるものだ」と思っていました。
仕方ないのだと。痴漢が犯罪になってからもずいぶん長い間、自分が性暴力の被害者だったことには気づけませんでした。なぜならかつては、痴漢被害がとても軽視されていたから。そして助けを求めても、誰一人助けてくれなかったから。痴漢にも、見て見ぬ振りの大人にも心底怒りと憎しみを覚えたけれど、性暴力を振るわれているという認識には至りませんでした。重いトラウマになっているにも関わらず、私はずっと、周囲からも自分からも見つけてもらえない、透明な被害者だったのです。

写真:Shutterstock

そこに見えない何かがあると、存在を指摘することは第一歩です。でも本当は、それは透明ではないはず。なぜ見えなくなっているのかを解き明かすことが肝心です。「そういうものだ」「仕方がない」と思った時は、ガラスに手が触れています。「本当に仕方がないのか?」と視点を変えれば、そこにカクレミノがいると認識した途端に虫の姿が見えるように、ガラスの天井も崖も足枷も、姿を現すかもしれません。研究者がデータで示すことも不可欠ですが、私は言葉を得て体験の読み直しをすることで、一部を可視化することができました。今もその試みを続けています。

 

女の子が好きな靴を履いて、どこまでも走れますように。石を飛び越え、落とし穴を避け、転んだら立ち上がって、仲間と手を取り、高く遠く、行きたい場所まで行けますようにと心から願います。先に走り出した私たちは、地道に身近なガラスに色を塗り、ハンマー片手にこれおかしいぞと言い続けましょう。

 

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