高学歴女性に「特権意識」が生まれてしまう構造


山口 保育園で生活保護の人が優先されるのが信じられない、とか言う人ね。いるいる。そういう人は特権意識があるんだと思う。でも特権意識を強く持つのは、やっぱり弱いからなんだろうなというのが私の理解です。

今いる場所まで道を切り拓くのは、すごく大変だったんだろうなと思うわけ。だから切り拓いたものに対する執着が強くて、自分が苦労してきた証というふうに思ったり、同じ努力をしてこなかった人に対して厳しくなったりするんじゃないかな。

でもだからこそ、苦労してきたということを言わないと、ただの嫌な奴になっちゃいますよね。キラキラしているところだけ見せていると、何かあったときに余計に叩かれてしまう。自分もそういう経験があるけれど、過剰に強く見せてしまうのは、コンプレックスが強いから。自分のコンプレックスと必死に戦っているんじゃないかと思います。

 

中野 確かに、自分も強者の論理になってしまっていることってあると思うから、自戒の意味も込めて、そういう発言をする人に「そうは言っても私たちって世の中全体でみるとものすごく恵まれているんですよ」というようなことを言うと、純粋にすごくびっくりされるんですよね。

それは、血反吐を吐きながらその組織でなんとか生き延びてきたという自負があるから。自分が恵まれている側なんて思ってもみなかったから、びっくりする。男社会とか子育ての両立で頑張ってきたんだとは思うけど、もっと環境的な条件が整わなくてそこに立てなかった人からすると暴力的なことを言っているかもしれない。ある面においてはその人たちもマイノリティ、というのはそうなんだけど。

 

山口 “斧は忘れる、木は覚えている”というアフリカのことわざがあって。斧は傷つけたことを忘れるけど、傷つけられた木の側は覚えている。彼女たちからすると、自分はずっと木だと思っていて、いつの間にか斧になってることに気づかない。

知り合いに「頑張ってるから社会的地位も上がって、いつか傷つける側になっていることに気づくのが怖い」「自分の発言が下の人に影響力を持っていることを覚えているのが難しい」と言っている人がいて。私たちも傷ついた記憶があるから、無自覚に人を傷つける側になっていることのほうが怖いですよね。