弱者になって初めて気づく「強者の特権」


中野 2019年に東大の入学式で、上野千鶴子さんの『あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください』という祝辞があったじゃないですか。

今、ノブレス・オブリージュ(※3)とはあまり言わないかもしれないけど、上野祝辞とか、あとは『鬼滅の刃』の煉獄さんの母親が言った「弱き人を助けるためです 生まれついて人よりも多くの才に恵まれた者は その力を世のため人のために使わねばなりません 」というメッセージもあった。でも、これは、もしかして、自分は恵まれてきたという自覚と内省がもともとある人にしか響かないのですかね。

※3 ノブレス・オブリージュ:身分の高い者は、それに応じて果たさねばならない社会的責任と義務があるとする考え方

 

自分の努力で這い上がってきたという感覚の強い人ほど、努力できる環境になかった人に自己責任を求めたり、女性支援の施策に対して逆差別と反発したりする側面があるのではと思います。

マイノリティの立場を経験をすることで、それまでの恵まれた環境に気づいたり客観的になれる、想像力が働くということはあると思うけど、逆に前回の話のように、しんどい思いをしてきた人ほど他者にも厳しくなってしまう、ということも現状ではあるのかなと。

 

山口 どの側面で切るかだと思う。私もこれまでマイノリティになる場面は多かったし、仕事ができない時はそれが劣等感にもなったけど、一方で、勉強とかは子ども時代から恵まれた環境に置かれてきて、きわめて有利なルールで戦ってきた。そういう時は「なんでみんな優がとれないの?」って優越感を持ってたからね。

アメリカに留学したときは、会話に入れないとか、皆が笑うところで笑えないということにもドキドキしてた。たとえば飲食店で、自分が注文したものがなかなか出てこないと、それは単に店の問題で誰に対しても遅いのかもしれないのに、自分がアジア人で、英語が不得意だから遅いんじゃないか? と思ってしまう。そんなこと、日本にいた時は思ったことがなかった。それがマジョリティにいた時の特権だよね。

中野 山口さんの『ふつうの家族にさようなら』(2021年)にも海外でご苦労された経験が書かれていましたね。私もアメリカに行ったときに、何かを問い合わせても『このアジア人、何言ってんだ』という顔をされるのがしょっちゅうで、たらいまわしにされることが多いと感じましたね。