既婚か未婚か、子ありか子なしか、バリキャリか専業主婦か……。女性の生き方は何かと二項対立で語られることが多いのですが、当の女性からしてみれば、どれをどう選んでも、「本当にこれでよかったのか」といったモヤモヤがつきまといます。また、女性の社会進出、社会の価値観の変化、不妊治療の進化などといった要因が加わると、さらに悩ましい状態に陥りがちです。

作家の甘糟りり子さんが、短編小説集『産む、産まない、産めない』を発表したのは2014年のこと。妊娠、出産をめぐる女性の心の葛藤と人生の選択を描いた作品で注目を集めました。その後、2017年にシリーズ第二弾『産まなくても、産めなくても』を発表。そして第一弾刊行から10年目となる今年、第三弾『私、産まなくてもいいですか』を発表しました。

深刻な少子化が進み、家族のあり方が多様化している今、なぜこのタイトルの小説を発表したのでしょうか。本作に込めた思いなどをお聞きしました。

女性の「産む、産まない」をテーマに小説を執筆して10年。甘糟りり子さんが考える、家族や女性の思いとは?_img0
 

甘糟りり子
1964年、神奈川県生まれ。玉川大学文学部英米文学科卒業。ファッション、グルメ、映画、車などの最新情報を織り込んだエッセイや小説で注目される。2014年に刊行した『産む、産まない、産めない』は、妊娠と出産をテーマにした短編小説集として大きな話題を集めた。ほかの著書に、『みちたりた痛み』『肉体派』『中年前夜』『マラソン・ウーマン』『エストロゲン』『逢えない夜を、数えてみても』『鎌倉の家』『鎌倉だから、おいしい』『バブル、盆に返らず』などがある。

 

 


10年で進んだ生殖医療と、なかなか変わらない社会のあり方。


「え、今年が10周年ですか?」

本作の刊行が、シリーズ第一弾の発表からちょうど10年ということに驚く甘糟さん。小説現代の担当編集者2人と、女性は40歳前後に仕事か出産のリミットか、という選択を迫られるよね、といった雑談がきっかけで、女性の妊娠や出産について書いてみることになったと振り返ります。当時はまさかシリーズ化するとは思ってもいなかったそう。

「新しい家族の形を描きたいという気持ちがあって、それを書いているうちに産む、産まないがテーマになった、という感じです。続編を書くことになったのは、時代が進んでいったのが大きかったですね。2017年に刊行した第二弾の『産まなくても、産めなくても』では、当時まだ珍しかった卵子凍結の話を書きました。産婦人科のドクターに取材した時はかなり早い段階で、私はそんなことが可能なのか半信半疑で、SFみたいだと思ったんですよね。でも、わずか7年後の今、30代の女性が『卵子凍結しました』って当たり前のように話しているわけです。第一弾が出てからの10年を振り返ってみると、不妊治療を話題にしやすくなったり、男性が育休を取るようになったり、多少は社会の関心が高まってきましたが、まだまだ足りない。小説に書いたことがいつか“時代劇”になったらいいなと思いますね」

女性の「産む、産まない」をテーマに小説を執筆して10年。甘糟りり子さんが考える、家族や女性の思いとは?_img1
甘糟さんが暮らす、鎌倉の家。

第一弾『産む、産まない、産めない』の発表後、「産まない」という言葉に惹かれて手に取った読者から、「積極的に産まないという選択をした女性が出てこない」という指摘をよく受けたそう。そして、まだまだ書ききれていないテーマがあったこともあり、第二弾を執筆しました。

「第二弾では『折り返し地点』という、女性マラソンランナーが主人公の物語を書きました。オリンピック出場という大きな目標のために、産まない選択をした話なんですが、それは“産まない”ではなくて“産めない”に入るんじゃないかと後から気がついて。私はまだ産まない女性を書けてはいないんだなあと落ち込みました」

ある取材で、産婦人科医に言われた一言が印象に残っているという甘糟さん。それは、「子どもを産むばかりが幸せではない、たとえ不妊治療がうまくいかなかったとしても、人生はそんなに悪いものじゃない、そうしたことを伝えるのは産婦人科医にはむずかしい、それこそが作家の役割ではないか」というものでした。

「だから、第三弾では、産まないということを肯定的な形でとらえた物語にしたかったんです」