脳と言葉が直でつながっている

言葉のプロフェッショナルに学ぶ「大人こそスマートに毒を吐きたい!」【詩人・最果タヒ×松本千登世】_img0
松本さんのエッセイ『顔は言葉でできている!』(講談社)より。

最果:それは、私が好きに書いているからかもしれないです。中学生の時に、場の空気にあまりにも支配される“おしゃべり”ができなくなったんです。それでネットで文章を書き始めたのが、今思えば詩人になるきっかけでした。ノートではなくてネットだったのもよかったんです。ネットでいろんな人が好き勝手書いているのを見て、「あ、これでいいんだ。自由でいいんだ」と思えたことが大きかった。そして、誰かが見ているかもという感覚が、言葉を閉じたものにしなかった。松本さんがおっしゃる“綺麗にしちゃう感覚”はすごくわかります。だからこそ、私は“もう綺麗にしちゃダメだ”と思っています。作品になるには、まっすぐやるしかないなぁって。脳と言葉が直接繋がっているのが大事だと。

松本:私は心を一回通して滑らかにしちゃう。

 

なんか違う? と思った最果さんの違和感がこうして言葉になり、私たちの胸を打つ。「わたしは、誰かが誰かと仲良くしているのを見るのは好きだ。ただ、仲良くできないこちらが、冷たいだとかかわいそうだとか言われたときだけ「黙れ、仲良しチームが‼︎」と思う。私はみんなに詩を書けなんて言わないのに、どうしてみんなは人と仲良くしろ、と言うのか。私は人と仲良くできない。それを心の壁だと言われたら困る、こんなにも心を開いて、閉じこもっているというのに。」『恋できみが死なない理由』より。
 

 


最果:手紙の書き方を相談されたことがあって、「書いていてこの表現はなんか違うと思ったら“なんか違うと思った”とその流れでそのまま書いたらいいんじゃない?って答えたことがあります。考えている過程が一番伝わるんじゃないかと思っていて、私の文章の書き方はまさにそれです。書く時間はもがいたり、考えたりしている過程なので、そこをそのまま書かないと、読んでいる人は“聞いて”くれない。

松本:私は、文章を書こうとするときに、「この文章正しく伝わる? この言葉を言い換えるには?」と無意識にバリエーションを考えているような気がします。滑らかになるように。

最果:私は、エッセイは結論を考えずに書いています。だから、うまく伝えようとすることを考えることがまずできないのかもしれないです。

松本:タヒさんの言葉って、衝撃を受けたり、影響を受けたり様々なインパクトがあるのだけど、最終的には自分が自由にしてもらえる。滑らかじゃなくていいんだ、みんなと親和性がなくてもいいんだ、と思わせてくれる。

これだけ、タヒさんの言葉が世の中で求められているとなった時、読者の気持ちを知りたいと思いますか?