心揺らいでしまったとき、自分に言い聞かせる言葉
————「まず信頼を示してあげる」ことが相手に自信を与え、成長を促すことは、会社で後輩を指導したことがある人や子どもを持つ親なら身に覚えがあると思います。でも実際は失敗を恐れてチャンスを与えることに臆病になってしまい、後から「もっと信じて任せてあげればよかったな」と反省することもあったり……。栗山さんにも、指導者人生でそんな経験はあるのでしょうか?
栗山英樹さん(以下、栗山):「これで結果が出なくても納得する」という覚悟で選手を送り出しているし、起用法や采配に関して、試合後にクヨクヨと後悔することはほとんどないです。だけど、正直に言えば、相手のことを信じていても、重要な場面で「もしかして無理かな!?」と心が揺らぐ瞬間があります。
その揺らぎを行動に移すことはないですが、たとえ一瞬でも揺らいでしまう自分が嫌になることはありますね。人間なので、仕方がない部分もあります。そんな時は、同じ失敗をしないことを胸に誓って、「切り替えろ! 切り替えろ!」と自分に言い聞かせています。
相手のすべてを信じる必要はない
————相手を信じ切るためには、「それなりの姿勢を見せてくれよ」と思ってしまうことも。例えば若い頃に連日の徹夜で自分を高めたリーダーは、同じだけの努力を若手に求めてしまうかもしれません。
栗山:「信じ切る力」の裏側には、確かに「信じ切らせる力」というのがあると思います。根拠がないと信じ切ることはできませんから、努力している姿を立場が上の人たちに見せることはものすごく重要な要素だと思います。ただ、 信じる側は、それを求めたら他力本願になってしまうので、まずは自分のできることだけをやりたいところです。
今回、僕は「信じ切る力」をタイトルにした本を出していますが、相手のすべてを信じましょうと言っているわけではありません。例えば、まずは特定の業務における能力に関して信じることから初めて、それを決めたら相手のせいにはしない。それを守っていれば、今度は相手の信じ切らせる力を引っ張り出せる可能性があると思っています。
————「これだけ努力したら信じてやるぞ」という姿勢ではなく、先に自分が相手のことを信じるということですね。
栗山:そう、順番が逆です。一度信じてもらうと、 信じてもらえないような行動をしている自分が嫌になる。「ちゃんとやらなきゃ」って、自分で気づいてくれるから。それって強制的にやらされる努力とは違って、本物の気持ちじゃないですか。性善説を意識した話になってしまうけど、指導者や親など立場が上の人間がそれを信じないと、うまくいかなくなっちゃうんじゃないですかね。
信じた人に裏切られたら思うこと
————ネガティブな質問ばかりで恐縮ですが、現実の人間社会は裏切りが絶えません。パートナーに不倫をされることもあれば、大事に育てていた部下がライバル会社に移籍することもあります。それはプロスポーツの世界も同じだと思いますが、栗山さんは裏切られたような気持ちになったとき、どのように考えて消化するのでしょうか?
栗山:自分が裏切るよりも、裏切られた側でよかったなと思うようにするかな。だって、そうじゃないですか。仕事を変えることを選んだ者に対しては、ステップアップしてくれることを願うしかない。自分が裏切って罪悪感を抱きながら生きていくよりも、裏切られたほうがいいと考えたら心が軽くなりますよね。
実際に野球界って、どれだけ選手のために尽くしても、急にチームが変わってしまうことがあるんですよ。それに対して「なんでだよ!」っていう気持ちは多少はありますけれど、彼が幸せになる手助けをしてあげられたことに目を向けて納得するしかないと思っています。
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