行きたくない駅、会いたくない人
「綾乃さん! 優也くん!」
やっぱり、この駅に来なければよかった。
背後から声をかけられたとき、「いくらあの学校に近い駅だからって、会うことはないはず」と思った自分の甘さを恨んだ。
笑顔が強張らないように準備してから、優也とつないだ手をぎゅっと握って、振り返った。
そこには憧れの制服を着たお教室仲間の男の子と、最高に上品なネイビーのワンピースを着たママ友の智花さんが立っていた。
「わあ、久しぶり! 優也くん、しばらく見ない間にとっても背が伸びたね」
一点の曇りもない笑顔で接してくれる智花さん。2歳からずっと小学校受験のため一緒にお教室に通った仲間。同じ志望校特訓講座を、悩みながらたくさん受けた戦友。
それなのに熱望校の合否はくっきりわかれ、それ以来会うのは初めてだった。
「久しぶり、智花さん。……翔くんも、制服すっごく似合ってる」
「ありがとう、土曜日学校あるから、今日も送迎。新生活、なかなかリズムになれないよね」
優也が通っている小学校は土曜日がお休みだから、今日は私服。でも制服じゃなくてよかったかも。とっさにそう思ってしまうのが悲しい。でも、多分智花さんは知りもしない私立の制服姿を見せたくない。
嬉しいはずの再会で、そんなふうにマイナスな感情が湧いてしまうほど、あの学校の制服には威力があった。ああ、優也に着せたかったな……。
喉の奥がぎゅっとなる。慌てて智花さんから目を逸らし、優也を見た。
「今日、お友達と約束していて。いけない、遅刻気味なんだった、またゆっくり優也と遊んでやってね、翔くん」
私は忙しいふりをして大げさに手を振って、早足でそこを立ち去る。優也が、歩調を合わせながら不思議そうな目で私を見上げている。「おうちに帰るところだよね?」と言わなかったことにホッとした。
――もし第一志望に合格できなかったとしても、絶対に子どもの前で泣いてはいけません。母は女優になってください。
幼児教室やネットの記事には、みんなそう書いてある。そんなことはわかってる。そうしたいと思ってる。頑張った優也を傷つけたくない。だからそのやり方を教えてほしい。
私は優也の手をぎゅっと握った。もう誰にも会わないように祈りながら、うつむいて歩いていく。
突き刺さる言葉
「本当にこの学校に入れてよかったですよね。皆さん優しいし、うちの子もすっかり学校になじんでとっても楽しそう」
バザーのための検品作業で隣になったお母さんが話しかけてきた。ネックストラップには「夏目」と書かれている。優也の口からはきいたことがなかったけれど、色からして同じクラス。私はできるだけ自然に見えるようにうなずいた。
「そうですね、本当に」
「小学校受験なんて考えてなかったけど、おうちも近いし、この学校は手厚いときいて3カ月だけお教室に通ったんです。入れてよかった、広い校舎でのびのびできて、本当にいい学校!」
夏目さんは私と同い年くらいに見えた。学校のお手伝いだから私は一応ネイビーのスカートと白のトップスできたけれど、彼女はパンツに薄いピンクのシャツ。髪の毛も簡単な一つ結びで、花柄のエプロンをかけている。この前会った優香さんのエレガントなたたずまいと比べて、ぐっと庶民的だ。
――だめだめ、比べたら失礼!
とっさに湧いてきた罪悪感。不合格になったその日から、自己嫌悪までがセットだ。あの学校以外は意味がないように感じられ、届かなかったことを悔み、手の中にあるものは価値がないとため息をつく。
他愛もない雑談をしながら、頭のなかでは「3カ月しかお教室に通わないで望んだ学校に受かったんだ」と思ってしまう。私たちは2歳から通ったんだけどな……。
いつになったら、こんなふうに感じないで健康的な毎日を送れるのだろう? 気がついたら悲しい気持ちになって、まったく出口がないように感じられる。
みんな、小学校受験がこんなに恐ろしいものだと知っていて始めたの? それとも覚悟もなく、のんきだったのは私だけだったのだろうか。
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