これまで夫と二人で生きてきた理由を振り返る

「夫婦は他人だってことを忘れないことが肝心だよ」
と年上の友人はいう。
「よく知らない他人だと思えば腹が立たない。修行だね」
と。実際、私は夫のことをよく知らない。誰のこともよく知らない。息子たちだって私が知っているのは彼らの生活のごく一部に過ぎない。人と人の間で肝心なのはきっと、どれほど理解しているかよりも「あなたを知りたい」と思い続けられるかどうかだ。

干渉や詮索じゃなく、敬意を払い尊重しつつ、もっと知りたい、理解したいと思えるかどうか。私は息子たちに対しては、そういう気持ちを持っている。きっと死ぬまで、息子たちのことを知りたいと思い続けるだろう。では夫に対してはどうか。いったいこれまでどれほど真剣に、彼のことを知りたいと思っただろうか。

同棲している時から、夫は私が自分自身を忘れるための依存対象だった。生育環境や仕事が理由で、私は20代には過食嘔吐がやめられなくなっていた。強い自己嫌悪から逃れるにはとにかく自分自身から関心を逸らさなくてはならない。だから食べた。食べて頭を真っ白にして、人目を忍んで吐いた。恋人を絶やさなかったのは、ひとりぼっちになって大嫌いな自分と二人きりになるのが怖かったからだ。夫と出会ったのはそういう全然健康じゃないメンタリティの時で、彼は彼で当時の人間関係の挫折の只中にあった。そもそものスタートが共依存的だったと言える。

離婚をやめた夫と10年ぶりに始める二人暮らし。「寝室は別々」よりも悩ましく不安なこと【小島慶子】_img0
写真:Shutterstock

でも、幸せだった。夫は私よりも色々な種類の感情を知っている人のように見えたから、彼の悲しみや傷つきについてたくさん質問をした。自分の話もたくさん聞いてもらった。何を言っても彼は私をジャッジしないので、ついに安心してものを言える場所に辿り着いたと思った。

そして夫婦になって4年目。長男の誕生で私の心身が一杯一杯の時に、マイソウル惨殺事件が起きた。その後は精神科に通いながら、なぜ夫がそのようなことをするに至ったかを考え続けた。どうしてこの世で最も私に親切な人間が、これまでの誰よりも心ないことを平気でやったのか。他人から見ればつまらん夫婦の揉め事だろうが、私にとっては血まみれの問いだった。それはやがて、日本社会で男として育てられることが人をどのように歪ませるのか、日本の男社会で働くことが人をどのように壊すのかを考えることへと繋がっていった。
なぜそんなめんどくさいことを考え続けたのかというと、私は息子たちには父親のようになって欲しくなかったからだ。なんとしても、彼らの魂が抑圧されることも、彼らが無知ゆえに誰かの魂を壊すこともないようにしたかった。
 

 


夫は、子どもを大事にしている。私が誰よりも大切にしている人たちを私と同じように大切に思っている。彼は声を荒らげることもなく、家事を人に押し付けることもなく、子育てを他人事にすることもなく、妻をバカにすることもない。飲み歩くこともないし、噂話には興味がない。彼以上に穏やかで親切な人を私は知らない。それゆえに深く苦しんだ。

そして息子たちの手が離れると新たな問いが加わった。「なぜ、私の魂を殺した人と、この先も二人で生きていかなくてはならないのか」と。