翼の生えた虎に足枷をはめているのは誰か


観る者のヒットポイントを容赦なく削りながら、それでも『虎に翼』は人の中にある自己欺瞞をどんどん暴いていきます。最も賛否が分かれたのが、穂高(小林薫)の退任記念祝賀会における寅子の態度です。寅子は花束を贈る務めを放棄し、大股でその場を立ち去った。恩師の晴れの場ということを考えると、失礼だと眉をひそめられるかもしれません。なにか思うことがあっても、ここは胸に秘めるのが礼儀だと言う人も多いでしょう。

『虎に翼』「満点なんて取れない」と知っているのに、寅子には“母親業”を求めてしまう...このドラマは観る者の思考の偏りを炙り出す【横川良明の『虎に翼』隔週レビュー13•14週】_img0
©︎NHK

けれど、それこそがこのドラマがずっと取り上げ続けてきた「スンッ」なのです。寅子と出会った私たちは、決して「スンッ」をしない寅子に胸のすく思いがした。いいぞ寅子と拳を振り上げた。なのに、いつの間にか寅子に「スンッ」を強要する立場に変わっている。寅子と“同じ岸”にいたつもりが、“向こう岸”の人間になっているのでした。
 

 


たぶんそれは寅子がそれなりに年齢を重ねてきたせいもあります。学生の時分は、向こう見ずな態度も許された。けれど、立場や年齢とともに社会性や協調性を求めるようになり、そこから外れた人間には「大人になれよ」と訳知り顔で諭したくなる。それ自体が間違っているわけではありません。ある程度、社会をスムーズに運営していくためには必要な資質ではあります。

でも、そうやって出来上がった社会が権力者にとって都合のいい今の社会であるならば、他人に大人になることを強制する僕たちもまた、そういう社会をつくってしまった一員なのです。その罪を、自分で自覚しなければいけません。

寅子は、流されなかっただけ。「そういうこと」で自分を納得させず、許せないものは許せないと断じ続けただけ。その生き方の是非はさておき、少なくとも硬直したこの社会に風穴を開けるのは、寅子のほう。寅子に大人になることを求めるすべての人たちは、翼の生えた虎に足枷をはめる一人なのです。