こんにちは、エディターの昼田祥子です。
先日「ファッションエディターという肩書きをそろそろ手放します」と宣言したのは、毎朝やっている生放送のvoicyにて。
単なる肩書きの話かもしれません。やっぱり23年もやってきたからそんなにすんなり手放せないですよ。だって人生捧げてきた仕事だもの。ものすごい葛藤がありました。肩書きだけでなく、服も、モノも。人が実際に「捨てる」と踏み切るまでには、長い道のりがあると思っています。一言で済ませられるほど簡単じゃない。
忘れないで欲しい。
1000枚捨てた私だってそのしんどさは一緒なのだ。
だからこそ「乗り越えた方法」は誰かにシェアできると思っています。少しでもラクにゴールに辿り着けますように。全体像を把握し、途中であなたの足を引っ張ろうとする敵はこんな感じ。そんな「心のガイドブック」があれば少しはラクになるはず。
7/27(土)のセミナーでは”心のガイドブック”をみなさんに伝授するつもりで絶賛、内容を作っています。
面白いのはこのあと。
捨てると宣言してまもなく7刷が決定!
ね、ほら! 本に書きましたけど「捨てると必要なものが入ってくる」の法則。私、嘘はついていませんよ(笑)。
さて今日の本題へ。
よく相談されるのが、「昼田さんって喪服はどうしているんですか?」。え〜っと、持っていません。詳しくは一度も持っていたことがない、です。20代〜30代で列席した葬儀といえば、父方、母方の祖母くらい。手持ちの黒のジャケットとスカートで間に合わせたように記憶しています。
この仕事をしていると喪服をテーマにした企画を担当することもあります。その度にいや〜そろそろ私もちゃんとしたものを持っておいた方がいいのかもと思っているうちに、クローゼットを丸ごと手放しちゃったんですよね。「喪服」を揃えるタイミングを失ってしまったのが本音です。
そんな矢先、父が突然他界。喪服どうしよう?
買うか、借りるか。選択肢は二つ。
買った場合のシミュレーションは、あと何回参列するだろう? 年齢で考えれば、母と義理の両親。持っていれば最低3回は使うでしょうね。一回のレンタル料が1万円として1万円×3回=3万円以下で喪服を買えば元が取れる計算です。法要も含めれば着用機会はもっと増えるでしょうから、買った方が絶対得です。
でも滅多に着ない、ひと際違う存在感の喪服をクローゼットにずっとキープしておくってどうなんだろう? 私の場合、少ない枚数だからこそ存在感がありすぎる。喪服を見て、私は毎日気分よくいられるのだろうか? 誰かの死を待つ服に感情が引きずられる毎日。服の気持ちを野球選手に置き換えて考えてみます。ベンチ入りしたもののいつまでたっても出番がこない控え選手。それどころか監督から気にもかけてもらえない存在。そんな奴がクローゼットにいるなんて想像しただけでも精神上よくない。
私は「借りる」を選びました。
これから3回以上葬儀があることも考えられるけれど、自分が後だという保証もありません。明日死ぬかもしれませんしね。今はこの選択。もしかしたら今後何かがきっかけになり、買うこともあるかもしれません。でも今の今、私にとって一番しっくりくる選択はなんだろう。何が正解か? ではなくて選んだことを自分でベストなものだったとすればいい。そして一生の選択でなくてもいいのです。ダメだったらまた選択しなおせばいいのです。選択したその先の選択肢も無限にあるのだから。
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