著者の三宅香帆さんは、京都大学大学院在学中に『人生を狂わす名著50』で書評家デビュー。卒業後はIT企業に就職し、会社員と書評家を両立させていたといいます。「会社の仕事だって楽しかった」と兼業時代を振り返る三宅さんが、社会人3年目に退職を決めた理由は「本が読めなくなった」から。
明治以降の労働史と読書史を振り返り、日本人はどう働いてきたか・どう本を読んできたかを横に並べることで見えてくる、「労働と読書が両立できない」日本社会。読書(趣味)よりも労働を優先させる日本人の潜在意識をあぶりだし疑問を投げかける話題作です。
「疲れてスマホばかり見てしまうあなたへ」という帯文もグサッときますが、何よりも刺さったのはタイトル。「働くこと」と「本を読むこと」を同列に並べてくれていることに驚き、「本が読めない」を単なる愚痴としてではなく、一つの社会課題としてとらえた姿勢が新鮮でぐっときました。
「仕事と家庭の両立」はすでに社会課題として認められ、それを実現するために多くの対策が打たれています。もちろんまだまだ発展途上の課題ではありますが、子育てや介護、家事は、仕事量や働き方を調整しようとするときに「多くの人に納得される」理由ですよね。
しかし、「読書」はどうでしょうか?
ノイズを排除し、「全身全霊で働く」を賛美する社会
三宅さんは本書で、読書には「ノイズ」が含まれるために、働く人が回避しがちなのではないかと書いています。ノイズとは、つまり雑音。「聞くつもりがなかった」「自分に必要か分からない」情報のことを指しています。
三宅さんが読書と比較しているのは、スマホやゲーム・自己啓発書などの読書。展開が読めず、予想外が多く発生する(小説や人文書などの)読書と、「こちらが求めるものを間違いなく与えてくれる」エンタメはまったく違う性質のものなのです。「スマホでネットサーフィンしたりSNSパトロールしたりする時間はあるのに、なぜか本を読む時間はない」という矛盾には、この「ノイズ性」が関わってくると三宅さんは書きます。
なぜ「ノイズ」が働く人に嫌われるかというと、仕事や会社に深く適応しようとするときに邪魔になるから。
会社の価値観に身を添わせ、与えられる仕事やルールに疑問を持たず、忠実に勤勉に働こうとするとき。「思いがけないアイディア」「見たことのない世界観」といったものは、適応の邪魔になる。逆に言えば、働く人が違う価値観に触れたり、リラックスしたり、新しい自分を発見したりすることは、人を盲目的に働かせようとする労働社会にとって都合が悪いのです。
「全身全霊で仕事に打ち込む」「一つのことに集中する」ことを賛美する社会において、読書をはじめとする趣味がないがしろにされがちな理由はここにあるのではないでしょうか。
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