人が抱える悩みや状況は、外からはわからない。


薫子には、不妊治療を続けていたという過去がありました。不妊治療がうまくいかないことは、根が真面目でコツコツと努力して結果を出し続けてきた薫子にとっては受け入れがたく、そのことがやがて離婚へとつながっていきます。阿部さん自身、不妊治療をしていた経験があり、本作にもそのしんどさが投影されています。

「不妊治療によって子どもができたら成功で、できなかったら失敗なのか? そうじゃないと頭では分かっていても、うまくいかなければ凹むので、感情のジェットコースターに乗らされているようでした。少子化のニュースが流れる度に、そんなプレッシャーを社会がかけるから、ストレスが溜まるんだ! と怒りをぶちまけていました」

また、先行きが不透明なこの世の中に、新しい命を産み、未来に向けて子どもを育てていく不安もあります。

「私はずっと不景気な日本で生まれ育ったので、夢や希望をあまり持つことなく、堅実に生きてきたところがあると思います。でも、いざコロナに直面して、ますます生き抜くことが大変になってしまいました。そんな時に不妊治療をしていたので、この世界に子どもが生まれて大丈夫なのか、幸せになれるのか、ということをぐるぐる考え、ものすごい葛藤がありました。結局答えは出ないのだけど、物語で薫子に考えてもらったり、せつなに言ってもらったりした、というところはあります」

薫子は、せつなが所属する家事代行サービス会社「カフネ」のボランティア活動を手伝うことになります。それは、チケットを持っている人の家に、二人一組で訪問して家事を行うというもの。シングル家庭や要介護の家族がいて家事がままならない人もいれば、必ずしもそうではない人もいます。

チケットを使える人をあえて限定しないのは、外から見れば困窮していないように見えても、助けを求めている人に間口を広げるため。薫子はせつなとさまざまな家庭を訪問し、無心で掃除をしながらせつなの働きぶりを見て、サービスを受ける人々と接し、さまざまなことを感じるようになります。

「家の中って、よほど親しい人でないと見せない場所。普段は明るくてテキパキしている人でも、実は家では片付けられなくてストレスを抱えているかもしれない。人は傍から見てもわからないもので、少し踏み込むと見えてくるものがあります」

おいしいと思えるだけでうれしい。心にそっと寄り添う物語。小説『カフネ』阿部暁子さんインタビュー_img2
 

実際、「カフネ」のこの活動は、いうなれば“お節介”的なところがあると言えます。でも、そのお節介によって誰かが一息つくことができたり、自分では気づかなかったけれど、今の自分に必要なものが見えたりと、小さな影響をもたらしているのは確かです。
 

 


「私はかなり臆病で引っ込み思案なところがあるので、相手の領域に踏み込むことを恐れない人が眩しく見えます。だから、主人公がお節介になりがちなところがあります(笑)。近年、人々の心のバリアはどんどん厚くなっていて、なかなか踏み込めないし、踏み込むべきではないこともあるけど、ちょっと踏み込んでみれば、あなたという人間に興味があり、もっと知りたいという姿勢の表明になります。これが、人間関係が芽生える第一歩になるのではないでしょうか」

また、踏み込んでいく側の人にも、いい効果をもたらすのではないかと考える阿部さん。

「幸せになりたい、満たされていたい、と自分のことばかり考えていると、どんどん心が荒んでいくような気がするんです。例えば電車で誰かに席を譲れたら、ちょっと温かい気持ちになれます。自分が誰かの役に立てたと思えたらうれしいし、満たされるものがあると思うんです」